ドロセア・オレム
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ドロセア・オレム(Dorothea E. Orem、1914年 - 2007年6月22日)は、セルフケア不足看護理論の開発者として知られるアメリカ合衆国の看護師。メリーランド州ボルチモアで生まれた。
ワシントンD.C.のプロヴィデンス病院付属看護学校で看護を学び、1930年代初頭に看護婦資格を得た。さらに教育を受け、1939年にアメリカ・カトリック大学で看護学士号を取得し、1945年に同大学で看護教育の修士号を取得した。1976年には、ジョージタウン大学で理学博士の名誉学位を取得している。
1958~60年にかけて、合衆国保健教育福祉省(HEW)でカリキュラムのコンサルタントとして、実務看護婦訓練を向上させるプロジェクトに携わっていた。この頃から、「看護の中心的問題とは何か」という問いの追究に駆り立てられるようになり、これが“オレムの看護論”を生み出すベースになっている。 彼女の看護理論の中心には、セルフケアということで、自己の生命、統合的機能および安寧に役立つように自己の機能を規制するために自己または環境に向けられる行動を日々行っている、このセルフケアができない状態になったところで、他者からそれを補う援助をうけることになるという考え方がある。 2007年6月22日、ジョージア州の自宅で逝去した[1]。