トロ・ボラトウィキペディア フリーな encyclopedia トロ・ボラト(モンゴル語: Төрболд、中国語: 図魯博羅特、1482年 - 1523年[1])は、モンゴルのハーンであるバトゥ・モンケ(ダヤン・ハーン)の長子。『アルタン・ハーン伝』ではトゥル=バイフ(Törü bayiqu)とも表記され、明朝の漢人は「鉄力擺戸」と記した[2]。父親よりチャハル部を相続し、その後継者と見なされていたが、父よりも早く亡くなったため、息子のボディ・アラクがハーン位を継いだ。ボディ・アラク以後のモンゴルのハーンはみなトロ・ボラトを祖とする、チャハル部の部族長から輩出された。
トロ・ボラト(モンゴル語: Төрболд、中国語: 図魯博羅特、1482年 - 1523年[1])は、モンゴルのハーンであるバトゥ・モンケ(ダヤン・ハーン)の長子。『アルタン・ハーン伝』ではトゥル=バイフ(Törü bayiqu)とも表記され、明朝の漢人は「鉄力擺戸」と記した[2]。父親よりチャハル部を相続し、その後継者と見なされていたが、父よりも早く亡くなったため、息子のボディ・アラクがハーン位を継いだ。ボディ・アラク以後のモンゴルのハーンはみなトロ・ボラトを祖とする、チャハル部の部族長から輩出された。