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ティト・プエンテ
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ティト・プエンテ(Tito Puente、本名:エルネスト・アントニオ・プエンテ・ジュニア、1923年4月20日 - 2000年5月31日)は、アメリカ・ニューヨーク出身のラテン音楽・ミュージシャン。「マンボの王様」「ラテンの王様」[1]とも呼ばれ、ティンバレス、ヴィブラフォン、キーボードなど複数の楽器を起用に演奏した。また、作曲家、編曲家、バンドリーダーとしても足跡を残した。
概要 ティト・プエンテTito Puente, 基本情報 ...
ティト・プエンテ Tito Puente | |
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![]() ティト・プエンテ(1996年) | |
基本情報 | |
出生名 | Ernest Anthony Puente Jr. |
生誕 | 1923年4月20日 |
出身地 |
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死没 | (2000-05-31) 2000年5月31日(77歳没) |
ジャンル | ラテン音楽、マンボ、サルサ、ラテンジャズ、アフロ・キューバン・ジャズ |
職業 | ミュージシャン、ソングライター、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ティンバレス、ヴィブラフォン、キーボード |
活動期間 | 1946年 - 2000年 |
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1940年代から活躍しペレス・プラードらとともに、1950年代マンボ・ブームの立役者の一人でもある。プレイヤーおよびバンドリーダーとして、後のラテンジャズやサルサの発展にも寄与し、自らのバンドから多くの後進を輩出した功績もあった。
スペイン語では息子のことを「-ito(―ィート)」と呼び、プエンテは「エルネスティート」の「ティート」から「ティト」の愛称で呼ばれるようになった。