ダライ・ラマ6世
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ダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォ(チベット文字:ཚངས་དབྱངས་རྒྱ་མཚོ; ワイリー方式:tshangs dbyangs rgya mtsho, 1683年3月1日 -1706年11月15日)は、チベット仏教ゲルク派の有力な化身系譜であるダライ・ラマの6代目として認定された人物である。ツァンヤンギャムツォ、ツァンヤン・ギャムツォ、ツァンヤン・ギャンツォとも表記される。ダライ・ラマ5世の死後、摂政のサンギェ・ギャツォ(英語版)により、チベット南部モン地方のタワンで探し出された。1697年、数え15歳で沙弥戒を受けてダライ・ラマ6世に即位するが、僧の生活になじめず、1702年に沙弥戒を返上、以後は恋愛と即興歌作りをして暮らした。このようなダライ・ラマの素行を口実に、ホシュート部の長ラサン・ハーンによって1706年に廃位させられ、同年、清の北京への護送途中の青海の地で没した(場所はクンガノール湖畔と伝えられる)。病死とも暗殺されたとも言われる。ダライ・ラマとしては型破りの人物であったが、その人柄と歌がチベットの多くの民に愛された。