ダマスカス包囲戦 (1148年)
第2回十字軍における戦闘・攻城戦 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ダマスカス包囲戦(ダマスカスほういせん、仏語: Siège de Damas)とは、1148年7月24日〜28日の5日間行われたダマスカスに対する包囲戦である。第2回十字軍遠征における主要な戦闘であり、十字軍側の内部対立により十字軍の敗北で終結した。ローマ教皇エウゲニウス3世・神学者ベルナルドゥスによる呼び掛けに応じて聖地への遠征を行ったこの十字軍軍団は、仏王ルイ7世・独王コンラート3世が中心となって率いていた。しかし両者共に、アナトリア半島進軍中に甚大な被害を被り聖地にたどり着く頃には軍勢のほとんどを喪失していた。第2回十字軍遠征の当初の攻略目標はエデッサの奪還・エデッサ伯国の再建国であったが、当時のエルサレム王国ではダマスカスの制圧が最優先事項と見なされていた。それ故に、全ての諸侯が聖地に到着した後にアッコで開催された軍議(英語版)において、攻略目標の変更が取り決められ、十字軍の遠征先はエデッサからダマスカスに変更された。
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十字軍はダマスカスを西側から攻撃する計画を立てていた。ダマスカス西部のグータ地域には果樹園が広がっており、この果樹園から包囲中の食糧を賄えると考えていたからである。ダマスカス市街を囲む城壁付近に着陣した十字軍は、果樹園の木々を活用してすぐさま包囲戦を開始した。7月27日、十字軍は食料や飲み水に乏しいものの城壁の防衛が手薄となっていたダマスカスの東側の平原に陣を移した。しかし、陣替えの後、地元の十字軍たちはダマスカス包囲を続けることを拒否し、陣中での対立により3人の王は都市の包囲を取りやめざるを得ない状況に追い込まれた。そして7月28日、十字軍全軍は包囲を解き、撤退した。