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タイムズ・オブ・インドネシア
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『タイムズ・オブ・インドネシア』(Times of Indonesia) は、ジャカルタで発行されていたインドネシアの英語の新聞[1]。1952年に創刊された、インドネシアで最初の英字新聞である。その攻撃的なまでの調査報道で名を馳せ、「醜聞の暴露にかけてはジャカルタで一番の新聞 (the leading muck-raking paper in Jakarta)』として知られるようになった[2]。創刊時の編集人だったモフタル・ルビスは、『インドネシア・ラヤ (Indonesia Raya)』紙の編集人も兼ねていた[3]。モフタル・ルビスは、軍の首脳陣と密接なパイプをもっていた[4]。1953年、ルビスは、『インドネシア・ラヤ』との兼任の重圧から、編集人を辞任した[2]。セイロン出身のチャールズ・タンブ (Charles Tambu) が後任の編集責任者となった[5]。
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インドネシア共和国革命政府の反乱の後、1960年10月31日に『タイムズ・オブ・インドネシア』の発行免許は取り消された。これによってこの新聞の発行は打ち切られた[1][6]。