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イングランドの歌手 ウィキペディアから
ジョン・アンダーソン(Jon Anderson、1944年10月25日 - )は、イングランドのミュージシャン、ボーカリスト、作詞家。プログレッシブ・ロック・バンド、イエスの元リード・ボーカリスト。
ジョン・アンダーソン Jon Anderson | |
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ARW - ドイツ・マンハイム公演(2018年6月) | |
基本情報 | |
出生名 | John Roy Anderson |
生誕 | 1944年10月25日(79歳) |
出身地 | イングランド ランカシャー アクリントン |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック シンフォニック・ロック ポップ・ロック ニューエイジ・ミュージック |
職業 |
歌手 作詞家 作曲家 画家 ギタリスト ハープ奏者 |
担当楽器 | 歌、キーボード、パーカッション、ハープ、ギター |
活動期間 | 1968年 - 現在 |
共同作業者 |
イエス ザ・ウォリアーズ ジョン・アンド・ヴァンゲリス ABWH キング・クリムゾン イエス feat. ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン |
公式サイト | Official website |
イングランドのアクリントン出身。父はスコットランド系、母はアイルランド系のイギリス人だった。学校を卒業し、15歳から様々な職を転々とする。
1962年、兄のトニーに誘われてザ・ウォリアーズにボーカリストとして加入[1]。1967年にザ・ウォリアーズが解散した後、1968年には芸名のハンス・クリスチャン(Hans Christian)で、前年にアソシエイションが大ヒットさせた「かなわぬ恋」を含むシングル盤2枚を発表した[2][3]。
1968年にクリス・スクワイアと出会い意気投合して、スクワイアが在籍していたメイベル・グリアーズ・トイショップに加入した[4]。やがてメイベル・グリアーズ・トイショップは「イエス」と改名して[4]、アンダーソン、スクワイア、ビル・ブルーフォード、ピーター・バンクス、トニー・ケイの顔ぶれで1969年にデビュー・アルバム『イエス・ファースト・アルバム』を発表した。
イエスはメンバー・チェンジによってスティーブ・ハウやリック・ウェイクマンを迎えて、1970年代にはプログレッシブ・ロック・バンドの代表の一つと称されるようになり、彼は曲作りの中心を担ってイエスの黄金期の形成に大きく貢献した。1976年には初のソロ・アルバム『サンヒローのオリアス』を発表した[注釈 1]。
1979年にウェイクマンと同時にイエスを脱退し[5]、その後しばらくソロ活動を行う。イエスは1981年に活動を中止した後、トレヴァー・ラビンをギタリストに迎えて1983年に再始動し、彼も復帰した。新しいイエスのアルバム『ロンリー・ハート』は大ヒットを記録したが、彼はラビンとの音楽性の違いから1988年に再び脱退[6]。1989年にはアンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ(ABWH)を結成してアルバム『閃光』を発表[7]。ABWHは翌1990年にラビンやスクワイアのイエスと合体して[8]、彼はみたびイエスのメンバーとなった。
ギリシャ人のキーボード奏者・ヴァンゲリスとの連名で共作アルバムを数枚発表し、時々、ライブでも共演している。
1992年には喜多郎の作品に参加し、喜多郎と共にワールド・ツアーを行なっている。
2008年に体調不良を理由に、他のメンバーとマネージメントからイエスで活動することを拒否されて、イエスを離脱した[注釈 2]。
2008年にスロバキア人作曲家のペテル・マハイジックは、アンダーソンが歌う「Sadness of Flowing」という曲が収録されたアルバム『Namah』を発表した。彼らは2009年にブラチスラヴァのTribute to Freedomコンサートにて共演し、2012年にはロンドンオリンピックの一環として、サドラーズウェルズ劇場にてジョイント・コンサートを開いた。
2009年以降、ソロ・シンガーとしてライブ活動を行なった。2010年秋には「プロジェクト 360」の名義でウェイクマンと共演してイギリス・ツアーを行ない、連名のスタジオ・アルバムとライブ・アルバムを発表。2012年にはスロバキアのシンガー・ソングライター Miroslav Žbirkaと、2013年にはアイスランドのバンド Todmobile と、それぞれライブで共演した。
2014年にバイオリニストのジャン=リュック・ポンティとアンダーソン=ポンティ・バンドを結成し、活動を開始した。同年7月に、Kickstarter での同バンドへの投資募集を発表している。
2016年には、スウェーデンのプログレッシブ・ロック・バンド、カイパやザ・フラワー・キングスのギタリストとして知られるロイネ・ストルトと共に、アンダーソン/ストルトの名義でアルバムを発表している。
2016年に、ウェイクマン、ラビンとアンダーソン・ラビン・ウェイクマン (ARW)を結成し、ワールド・ツアーを開始。彼等は翌年4月に、イエス・フィーチャリング・アンダーソン・ラビン・ウェイクマンに改名している。
三弦ギターであるストラムスティックの奏者としても知られている。
かつて、アフリカ系イギリス人であるジェニファー・ベイカーと婚姻をしており(1970年 - 1995年)、2人の娘、デボラ・アンダーソン、ジェイド・アンダーソン、息子のダミアン・アンダーソンもミュージシャンとして活動をしている。1997年にジェーン・ルーテンバーガーと再婚した。2009年にはアメリカの市民権を取得した。
※イエスでデビューする以前の1968年に、アンダーソンはハンス・クリスチャンという芸名のソロ・シンガーとして2種のシングル盤を発売している。(「Never My Love / All Of The Time」および「Autobiography Of A Mississippi Hobo / Sonata Of Love」)
ライブ・アルバム、コンピレーション・アルバム等の詳細はイエスの作品を参照
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