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パキスタンを拠点とするイスラム主義組織 ウィキペディアから
ジャイシュ=エ=ムハンマド(ウルドゥー語: جيش محمد、英語:Jaish-e-Mohammed、略称:JeM)は、パキスタンのイスラム主義組織。
パキスタンのアザド・カシミールを拠点とするイスラーム過激派。カシミール地方のインドからの分離を目指しジャンムー・カシミール州を中心にテロ活動をしており、カシミール地方では最も過激な組織とされる。2002年にパキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ政権はJeMを非合法組織に指定した。ジャイシュ=エ=ムハンマドとは「ムハンマドの軍隊」という意味である。1968年にパキスタンのバハーワルプルに生まれたマウラナ・マスード・アズハール(Maulana Masood Azhar)はカラチでイスラム原理主義組織・ハラカト=ウル=アンサール(Harkat-ul-Ansar、HuA)に加入し、その幹部となるとケニアやソマリアなど各地に派遣され、ソマリアのイスラーム過激派・アル=イテハド・アル=イスラミーヤ(Al-Itihaad al-Islamiya)やアルカーイダと関係を築いた[1]。
1994年、アズハールは、HuAを構成していた2つの派であるハラカト=ウル=ジハード・アル=イスラミー(Harkat-ul-Jihad al-Islami、HuJI)とハラカト=ウル=ムジャヒディーン(Harkat-ul-Mujahideen、HuM)の対立を仲裁しにシュリーナガルに入ったところをインド治安当局に逮捕された。HuJIはソビエト連邦軍のアフガニスタン侵攻に対抗して1984年にパキスタンで最初に結成されたイスラム原理主義組織で、HuMは1989年にサイイド・アフガニ(Sajjad Afghani)をリーダーに生まれたカシミールの武装組織である。HuJI、HuMともにターリバーンとの密接な関係がある。
1999年12月、カトマンズ発デリー行きのインド航空814便がHuMによってハイジャックされた(インディアン航空814便ハイジャック事件)。機体はターリバーン統治下のカンダハールに着陸させられた。乗客の解放と交換でアズハールはインド政府から釈放され、直ちにHuMのメンバーを集めて、より過激なジャイシュ=エ=ムハンマドを誕生させた。HuMの創設者であったサイイド・アフガニもJeMのナンバー2となった。JeM創設以降、HuMは大きな活動を行っていない。一方、HuJIは軍統合情報局(ISI)の支援を受けてインド国内・バングラデシュ国内で活発なテロを起こしている。
JeMは2001年12月13日、ラシュカレ・タイバ(LeT)との共同作戦でインド国会議事堂を襲撃した。その後もアメリカ人の誘拐などを繰り広げている。
2016年1月、パタンコート空軍基地を襲撃し、銃撃戦によって治安部隊に犠牲者が出た[2]。同年9月には、ウリにあるインド陸軍の宿営地を襲撃し、19人の兵士を死亡させた[3]。
インドのジャンムー・カシミール州の国道を走行中だった治安部隊を標的として、自爆テロを起こした(プルワマ襲撃事件)[4]。インド政府は、テロに対する報復としてバーラーコート空爆を実行[5]。この空爆は、パキスタン領内で行われたため両国間の関係悪化へと発展した。
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