ジッグラト
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ジッグラトまたはジグラート(英: Ziggurat[注釈 1] アッカド語:ziqqurat)は、古代メソポタミアにおいて、日干煉瓦で築かれた階段ピラミッド状の聖塔、神殿のこと[1][2]。「高い所」を意味する。
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/Choghazanbil2.jpg/320px-Choghazanbil2.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/80/Ziggurat_of_ur.jpg/640px-Ziggurat_of_ur.jpg)
自然の山に対する信仰である「クル信仰」(クル=山)が起源だと考えられている。シュメール起源(シュメール語でジッグラトを表す語は「エ・ウ・ニル(驚きの家の意)」)と考えられており、一般に地上の神殿又は神殿群に付属しながら、ジッグラトの頂上にも神殿を備え、神の訪れる人工の山としてメソポタミアの諸都市に建造されたと考えられている。しかし、機能的には不明な点も多い。
メソポタミアにおいて、紀元前5000年頃に南部の都市エリドゥで都市の形成や神殿の建設がみられるようになる。やがてシュメール・アッカド時代と呼ばれる紀元前3000年期に都市の重要な展開がみられ、ジッグラトもこの頃に現れることとなる。王を中心とする専制体制の社会の中で、エジプトでは顕著であるが、大規模な建造物は王を象徴するという意味を持ち、王の権力を表すために実体のもつ力を大規模な建造物で表した。そのため、建築の表現において量感が中心となり、外部空間と建物の関係が構成上重要であった。メソポタミアは軸線の意識がそれほど強くないが、全体的に静的・彫刻的な空間構成ということができる。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが記した『歴史』にも登場し、旧約聖書の『創世記』にも記されているバベルの塔は、バビロンにあったジッグラトが伝説化されたものという説もある。バビロンのジッグラトは、底辺62メートルx43メートル、高さ17メートルという巨大なものであった[2]。いくつかのジッグラトが発掘されており、最大規模の遺跡としては、エラム(現イラン)のチョガ・ザンビール、比較的保存状態が良いものとしてはウル(現イラク)のものが挙げられる。