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ジェフリー・オブ・モンマス(Geoffrey of Monmouth, ウェールズ語:Gruffudd ap Arthur または Sieffre o Fynwy, 1100年頃 - 1155年頃)は、中世イングランドのキリスト教聖職者、歴史家。アーサー王伝説の語り手の一人として知られる。著作のほとんどは歴史を題材としたロマンチックなフィクションである。
ジェフリー・オブ・モンマスの生年地は不明だが、1100年から1110年の間にウェールズで出生したとされる。ジェフリーは著作『ブリタニア列王史』の中で、ウェールズのモンマスシャー州のカーリアン (Caerleon) についてたびたび言及しており、また自らを Galfridus Monumetensis(モンマスのジェフリー)と名乗っていることから、モンマスと何らかの縁があった人物とみられている。しかしジェフリーにウェールズ語の知識はほとんどなく、彼がウェールズ人か、あるいはウェールズ在住のノルマン人の子孫であったという証拠は見つかっていない。また、ノルマン征服と共にグレートブリテン島へ渡来して南ウェールズに定住したブルトン人(ブルターニュ人)の出身とする学説もある。
ジェフリーは1129年から1151年までの間オックスフォードに在住し、その後は北ウェールズで終生を過ごした。現存している彼の自筆署名の入った6つの特許状のうち、その全てにオックスフォード助祭長ウォルター (Walter of Oxford) の署名が共に連ねられている。このことから、ジェフリーはオックスフォード城内にあるセント・ジョージ・カレッジの律修司祭を務めていたと考えられている。
ジェフリーの作品は、全てラテン語で書かれた。
『マーリンの預言』(Prophetiae Merlini)は、1135年以前に書き始めたとされる。この話に登場するマーリンは、ウェールズの伝説に登場する賢者ミルディンがモデルといわれる[1] が、当時のジェフリーは伝説についてさほど知らなかったとみられている。ウェールズ語以外で初めて描かれた預言者マーリンの物語は、数世紀後に出たノストラダムスの大予言と同じように広く知られ、信じられてきた。
ジェフリーの最も知られた代表作は、『ブリタニア列王史』(Historia Regum Britanniae)である。彼はこの本について、「イギリスの全英雄について整然と記したブリテン語の古書」を翻訳したものだと主張しているが、今日その内容のほとんどは、いくつかの神話や古書を基に、ジェフリー自身が創作した物語と考えられている[2]。このことは既に12世紀のウィリアム・オブ・ニューバーグ(en)が、「(ジェフリーが)戦士ヴォーティガーンや彼以降の英雄たち、またアーサー王やその後継者について描いた物語は、一部は彼自身、一部は他の者(ジェフリーが参考とした本や神話)によって創作されたものである」[3]と看破しているとおりである。
物語はトロイのブルータスによる最初の移住に始まり、紀元前5世紀頃のレイア[4]王の物語、紀元前1世紀のクノベリヌス[5]王の物語、ユリウス・カエサルのブリタンニア侵攻[6]、5世紀後半のアーサー王の伝説、7世紀のグウィネズ王・カドワラドルスの死などが描かれてゆく。
一部で囁かれた偽書説に反して、『ブリタニア列王伝』の物語は、後世の歴史書に事実として頻繁に引用された。
また、ヘクサメトロス形式で書かれた詩『マーリンの生涯』(Vita Merlini)には、よりウェールズの伝説に近い形でマーリンが登場する。この本の中でマーリンは、「森のマーリン」や「スコットランドのマーリン」と呼ばれ、見捨てられ、悲しみに打ちひしがれて狂った森の老人として描かれる。『マーリンの生涯』は一般には出回らず、この詩がジェフリーの作品であるという記述は13世紀の一書籍に見られるに過ぎないが、構成や内容などの特徴から、彼の作品であるとほぼ断定されている。
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