シュチェパン・マリ
モンテネグロの君主 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
シュチェパン・マリ (セルビア語キリル・アルファベット: Шћепан Мали 発音: [ɕt͡ɕɛ̂paːn mâːli] シュチェパーン・マーリ; 1739年ごろ – 1773年9月22日)は、モンテネグロの君主(在位: 1768年 - 1773年)。モンテネグロ史上最初にして唯一ツァル (ツァーリ、皇帝)を号した人物である。前半生は謎に包まれており、歴史上に姿を現した時から、彼は数年前に廃位され死んだはずのロシア皇帝ピョートル3世その人ではないかと噂されて支持を集めた。そして瞬く間にモンテネグロの支配者ツェティニェ府主教(モンテネグロ主教公)を押しのけて絶対君主に上りつめた。
概要 シュチェパン・マリ Šćepan Mali, モンテネグロの統治者 ...
シュチェパン・マリ Šćepan Mali | |
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シュチェパン・マリ(ステファノ・ザノヴィチ(英語版)による1784年の伝記の挿絵) | |
モンテネグロの統治者 | |
在位期間 1768年2月[1] – 1773年9月22日 | |
先代 |
サヴァ・ペトロヴィチ(英語版) (主教公) |
次代 |
サヴァ・ペトロヴィチ(英語版) (主教公) |
出生 |
1739年ごろ[2] ダルマチア (?)[3] |
死亡 |
1773年9月22日 (34歳?) ドニ・ブルチェリ修道院(英語版) |
信仰 | セルビア正教会 |
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シュチェパンはみずからピョートル3世を名乗ったわけではないものの、モンテネグロ人たちの思い込みと熱狂的な支持を背景に、氏族間の抗争を禁止し裁判制度を整備するなど数々の改革を打ち出し、オスマン帝国の侵攻やヴェネツィア共和国の陰謀を跳ね除けた。モンテネグロに来たロシア使節によってピョートル3世ではないことを暴露され一時は失脚したものの、まもなくこの使節をも味方につけて君主の座に返り咲いた。5年間の短い治世の末、最後はオスマン帝国が買収した召使に暗殺された。
シュチェパンの業績については、「理想的な君主」と「詐欺師」という逆説的な評価がせめぎ合っている。彼の生涯と治世を題材とした演劇と映画がそれぞれ2作ずつ製作されており、そのうちの一つである1955年の映画『偽皇帝(セルビア・クロアチア語版)』は、モンテネグロ初の長編映画となっている。