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シコルスキー S-61R(Sikorsky S-61R)は、アメリカ合衆国のシコルスキー社で輸送と捜索救難用にSH-3 シーキングから開発された双発ヘリコプターであり、イタリアのアグスタ社ではAS-61Rとしてライセンス生産された。S-61Rは、アメリカ空軍ではCH-3C/E シーキングとHH-3E ジョリーグリーンジャイアントとして、アメリカ沿岸警備隊ではHH-3F ペリカンとして使用された[1]。
シコルスキー S-61Rは、S-61/SH-3 シーキングの派生型としてシコルスキー社で開発された機種で、実質的には後部ローディングランプを備えた胴体へ刷新した機体であり、S-61の船形の代わりに通常の形式の水密構造の胴体と引き込み可能な首車輪式降着装置を持っていた。この胴体形式はシコルスキー社によって後により大型のCH-53 シースタリオンや、はるか後年になり(同様の大きさの)S-92に採用された。
シコルスキー社はS-61Rの試作機をプライベートベンチャーとして開発し、1963年に初飛行を行った。アメリカ空軍は開発中に本機を発注し、CH-3Cの名称を与えた。空軍は、CH-3Cを地上に脱出したパイロットの救出に使用した。より強力なエンジンを搭載したCH-3Eが1965年に登場した[2]。
後に登場した改良型のHH-3Eは8機が生産され、CH-3E全機がこの仕様に改装された[3]。「ジョリーグリーンジャイアント」として知られるHH-3Eは装甲板、自動防漏式燃料タンク、飛行時収納式給油プローブ、投棄式外部燃料タンク、高速ホイストやその他特殊装備を備えていた[3]。
1965年にアメリカ沿岸警備隊はHH-3F シーキング(より一般的には「ペリカン」という名称で知られる)と命名した型を全天候救難機として発注した[2]。ペリカンは、機首左側に片寄せて配置したアンテナレドーム内に捜索レーダーを装備し[1][3]、水面への着水性能を有していた[2]。
イタリアのアグスタ社はS-61RをAS-61Rの名称でライセンス生産した。22機をイタリア空軍向けに生産し[2]、アグスタ社は36ヶ月で追加のAS-61を製造するラインを再開できると主張していた[4]。
アメリカ空軍では幾つかの型が軍事空輸軍団(MAC)の空中救難飛行隊(air rescue squadrons)、航空救難/回収(aerospace rescue and recovery squadrons)や航空戦闘軍団(ACC)の救難飛行隊(rescue squadrons)、その他世界中の空軍の主要な航空軍団で使用された。また、幾つかの空軍予備役軍団や空軍州兵の救難飛行隊でも使用された。空軍予備役軍団や空軍州兵を含むアメリカ空軍のHH-3E全機は1990年代に退役し、現在のHH-60 ペイブ・ホークに代替された。
HH-3Fは、1960年代-1990年代末にかけての期間信頼性に富む使役馬であった。アメリカ沿岸警備隊のHH-3Fは全機HH-60J ジェイホークに代替されつつある。
1967年5月31日-6月1日にかけてアメリカ空軍の2機のHH-3Eがヘリコプターによる初の大西洋横断無着陸飛行を実施した。早い時間にニューヨークを出発した2機は、30時間46分の飛行後に1967年度パリ航空ショーが開催されているル・ブルジェ空港に到着した[5][6]。横断中には飛行中に9回の空中給油を要した[6]。これらの機体は後に1969年と1970年に東南アジアで戦闘行動中に失われた[5]。
その戦闘任務の性格上(特に東南アジアでの)、運用されたH-3の搭乗員の多くに栄典と勲章が与えられた。アメリカ合衆国で最高の軍事勲章である名誉勲章が1967年11月9日にジェラルド・ヤング大尉に授与された。ヤング大尉は、第37航空救難/回収飛行隊所属のHH-3E 66-13279を操縦して、ラオスで敵砲火に包囲された陸軍部隊を救出しようとしていた。ヤングは、乗機が撃墜されると炎上する残骸から脱出し、重傷を負ったにもかかわらず捕虜にならないように救出されるまで17時間にわたり逃げ続けた[7]。
イタリアのアグスタ社が1974年にライセンス生産を始め、洋上での捜索救難任務用に使用していたグラマン HU-16 アルバトロスの代替として22機を納入した。イタリア空軍のAS-61Rは平時での捜索救難、紛争や軍事任務での戦闘捜索救難(C/SAR:Combat SAR)活動に従事している。全機が第15強襲飛行団「ステファノ・カーニャ」(15° Stormo Stefano Cagna)の5個飛行隊により運用され、イタリア内の4箇所の基地に配備されている。
1993年から第15強襲飛行団は、イタリア国内の自然災害時に民間人の救援任務に従事している。第83中央戦闘捜索救難飛行隊(83º Centro C/SAR)は、イタリア軍が派遣されたソマリア、アルバニア、ボスニア、コソボ、イラク、アフガニスタンといった国外の地域における幾つかの作戦で敵対地域での捜索救難任務に従事した。
日本でも海上保安庁が導入を計画したものの、コスト面での不安から、双発機ながらも本機より小型のベル 212に変更されたという経緯があった[12]。
(HH-3E) Evergreen,[13] Globalsecurity[14]
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