ザクセン=ザールフェルト
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ザクセン=ザールフェルト(ドイツ語: Sachsen-Saalfeld)は1680年から1735年まで存在した、ヴェッティン家エルネスティン系が統治した公国。領土は現ドイツのテューリンゲン州の一部にあたる。
首都 | アイゼンベルク | ||||||
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1675年、ザクセン=ゴータ公エルンスト1世がゴータで死去した。ザクセン=ゴータは1680年2月24日に彼の7人息子の間で分割され、そのうち末子のヨハン・エルンスト4世はザクセン=ザールフェルトを獲得した。公国の領土はザールフェルト、グレフェンタール、プロプスツェラであった。しかし公国の統治はヨハン・エルンスト4世の長兄でゴータにいるザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ1世によって行われ、ヨハン・エルンスト4世には実権がなかった。ヨハン・エルンスト4世自身はザールフェルトに住んだ。
1699年、ザクセン=コーブルク公アルブレヒト5世が後継者のないまま死去すると、ヨハン・エルンスト4世とザクセン=マイニンゲン公ベルンハルト1世の間で継承争いが起き、1735年にようやく決着した。ザクセン=コーブルクの大半はザクセン=ザールフェルトに併入されたが、ゾンネベルクとノイハウス・アム・レンヴェークはザクセン=マイニンゲンに、ゾンネフェルトはザクセン=ヒルトブルクハウゼンに割譲された。ザクセン=レムヒルトの旧領であるレムヒルト区の3分の1とテマルの12分の5はザクセン=コーブルク領のまま残された。
1735年に継承争いが神聖ローマ皇帝カール6世により最終決定がなされると、公国は正式にザクセン=コーブルク=ザールフェルトへと改名された。
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