サラトガ方面作戦
ウィキペディア フリーな encyclopedia
サラトガ方面作戦(サラトガほうめんさくせん、英: Saratoga Campaign)は、アメリカ独立戦争中の1777年に起こったハドソン川の支配権を巡る一連の戦いである。イギリス軍は戦略的に重要なハドソン川流域の軍事的支配権を得ようとした。この方面作戦の主要部隊はジョン・バーゴイン将軍指揮下の8,000名であり、カナダのケベックを出発してシャンプレーン湖まで遡り、ハドソン川を下ってサラトガにまで至った。そこでは9月と10月に頂点となるサラトガの戦い後にイギリス軍大部隊が降伏を強いられた。
概要 サラトガ方面作戦, 交戦勢力 ...
サラトガ方面作戦 | |
---|---|
サラトガにおけるバーゴイン将軍の降伏 ジョン・トランブル画 | |
戦争:アメリカ独立戦争 | |
年月日:1777年6月14日 - 10月17日 | |
場所:ニューヨーク 北部地方 | |
結果:英国軍の降伏、フランスの参戦 | |
交戦勢力 | |
アメリカ合衆国 大陸軍 オナイダ族インディアン |
イギリス軍 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク ヘッセン=ハーナウ イロコイ連邦(オナイダ族を除く) |
指導者・指揮官 | |
ホレイショ・ゲイツ フィリップ・スカイラー アーサー・セントクレア ベネディクト・アーノルド ベンジャミン・リンカーン イズラエル・パットナム ジョージ・クリントン ジェイムズ・クリントン |
ジョン・バーゴイン サイモン・フレーザー† ウィリアム・フィリップス リーデゼル男爵 バリー・セントリージャー ジョセフ・ブラント ヘンリー・クリントン |
戦力 | |
25,000[1] | 8,500(バーゴイン)[2] 1,600 (セントリージャー)[3] 3,000 (クリントン)[4] |
| |
閉じる
バーゴイン軍の動きは、バリー・セントリージャー大佐によるモホーク川流域を抜けてオールバニに至ろうという試みに支援されるはずだったが、うまく行かなかった。セントリージャーの遠征隊はスタンウィックス砦包囲戦でインディアンの支援が無くなった後に撤退を強いられた。もう一つの支援隊をバーゴインは期待していたが、これも実現されなかった(明らかにこの年の作戦目標に関する意思伝達の失敗のため)。それはニューヨーク市のウィリアム・ハウ将軍がハドソン川を遡ってその部隊の一部を派遣するよりもフィラデルフィア占領のために軍隊を動かしたからだった。ヘンリー・クリントンが10月初めにニューヨークからバーゴイン軍支援の動きをしたが、結果に大きな影響を及ぼせなかった。
大陸軍の勝利はこの新生間もない国の士気を大きく高め、フランスをしてアメリカ支援のために戦争への参入に踏み切らせ、公然と資金、兵士、海軍の支援を始め、より広い戦域に対応できるようになった。