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コーク焼き討ち
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コーク焼き討ち(コーク襲撃、Burning of Cork、アイルランド語: Dó Chorcaí ) [1] [2]は、アイルランド独立戦争中の1920年12月11日から12日の夜、イギリス軍がアイルランドのコーク市に甚大な被害を与えた襲撃事件である。きっかけは、アイルランド共和国軍(IRA)による、コーク市に駐屯するイギリス人の部隊オークジラリーズ(Auxiliary Division:王立アイルランド警察隊(RIC)の補助部隊)のパトロール部隊への奇襲が行われ、12人が負傷、1人が致命傷となった事であった。
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その報復として、オークジラリーズ、ブラック・アンド・タンズ、イギリス兵により、最初は待ち伏せが行われた現場近くの家屋が放火され、その後にコークの中心部で略奪及び多数の建物が焼き払われた。多くの一般市民がイギリス軍に殴られ、撃たれ、強盗に入られたと報告している。消防士の証言によると、消火活動を行うとイギリス兵から止めるように脅され、ホースの切断、発砲によって妨害された。また、市の北部では非武装のIRA志願兵2人が自宅で射殺された。
40以上の商業施設、300以上の住宅、市庁舎、カーネギー図書館が火災により焼失した。火災の原因の多くは焼夷弾によるものだった。経済的な被害は300万ポンド(2019年の1億5500万ユーロに相当)以上と推定され、2000人が職を失い、それ以上に多くの人が住む場所を失った。
イギリス軍は戦時中、アイルランドの民間人に対して同様の報復を多数行っており、この3ヶ月前に発生したバルブリガンの略奪と、コーク襲撃はとりわけ大規模なものであった。イギリス政府は当初、自軍が火事を起こしたことを否定し、軍からの取り調べを行うことにのみ同意した。この調査では、放火はオークジラリーズの部隊によるものと結論づけられたが、政府は当時の報告書を公表することを拒否していた。