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コメート (Komet) は第二次世界大戦時のドイツの仮装巡洋艦。秘匿名称はシフ45[1](Schiff 45)である。
「コメート(SMS Komet)」 | |
艦歴 | |
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発注 | AG社ブレーメン造船所 |
起工 | |
進水 | 1937年1月16日 |
就役 | |
退役 | |
その後 | 1942年10月14日撃沈 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:3,287トン |
全長 | 115.0 m |
全幅 | 15.3 m |
吃水 | - m |
機関 | MAN式2サイクル6気筒ディーゼル機関2基1軸推進 |
最大 出力 | 3,900hp |
航続 距離 | 9ノット/51,000海里(重油:-トン) |
最大 速力 | 16.0ノット |
乗員 | 279名 |
兵装 | クルップ 15cm(45口径)単装速射砲6基 6cm(-口径)単装砲1基 SK C/30 3.7cm(83口径)連装機関砲1基 C/30 2cm(65口径)単装機関銃4基 53.3 cm連装魚雷発射管3基6門 機雷30個 |
装甲 | なし |
航空 兵装 | 水上偵察機(アラド Ar 196 )2機 |
1937年1月16日に進水した貨物船「エムス」を改装して、1940年6月2日に仮装巡洋艦として就役した。1940年7月9日ドイツを出発し、中立国ソ連北の北極海を通り太平洋に入った。12月7日、8日「コメート」と「オリオン」はナウル沖で商船4隻を沈め、12月27日にはリン鉱石の産地でオーストラリアに占領されたナウルを砲撃した。南極海では大日本帝国の捕鯨母船である「第二日新丸」に遭遇し、鯨肉の補給を受けるなど交歓した[1]。「コメート」は地球を一周し、1941年1月30日シェルブールに帰投した。
1942年10月、「コメート」は再び出撃することになった。10月13日、「コメート」は水雷艇「T4」「T10」「T14」「T19」を率いてル・アーブルを出港した。5隻は14日午前1時ごろ、アーグ岬沖でイギリス海軍の駆逐艦「クォーン」、「グレイスデイル」、「エスクデイル」、「アルブライトン」の攻撃を受け、「コメート」は被弾炎上した。その後イギリス魚雷艇「MTB236」が「コメート」に対して雷撃をおこない、その直後に「コメート」は爆沈した。ただ、その原因が魚雷艇の発射した魚雷によるものかは不明である。「コメート」の生存者はいなかった。
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