ギヨーム4世 (アキテーヌ公)
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アキテーヌ公ギヨーム4世(Guillaume IV, duc d'Aquitaine[1], 935年 - 994年2月3日[2] )誇武装公(ラテン語: Ferox brachium)、他に鉄腕公を意味するフィエラブラ(フランス語: Fier-à-bras)もしくはフィエラブラス(フランス語: Fièrebrace)と称された。
概要 ギヨーム4世 Guillaume IV, 在位 ...
ギヨーム4世 Guillaume IV | |
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アキテーヌ公 ポワティエ伯 | |
在位 | 963年 - 990年 |
出生 |
935年 ポワティエ伯領、ポワティエ |
死去 |
994年2月3日 |
埋葬 |
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配偶者 | エマ・ド・ブロワ |
子女 |
ギヨーム5世 エブル |
家名 | ポワティエ家 |
父親 | ギヨーム3世 |
母親 | アデル・ド・ノルマンディー(ゲロック) |
宗教 | ローマ・カトリック |
渾名 | 誇武装公、鉄腕公 |
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中世フランスの貴族でポワティエ家の先代であった父ギヨーム3世(910年もしくは915年 - 963年)の死後、アキテーヌ公及びポワティエ伯(ポワティエ伯としてはギヨーム2世)位を継承した(在位:963年 - 990年)。