ガザーリー
ペルシアのイスラーム神学者、神秘主義者 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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アブー・ハーミド・ムハンマド・ブン・ムハンマド・ットゥースィーユ・ッシャーフィイー・ルガザーリー(アラビア語: أبو حامد محمد بن محمد الطوسي الشافعي الغزالي、Abū Ḥāmid Muḥammad ben. Muḥammad al-Ṭūsī al-Shāfi'ī al-Ghazālī、1058年 - 1111年12月18日)はペルシアのイスラームの神学者、神秘主義者(スーフィー)。通常名前の最後の部分を取ってガザーリーと呼ばれるが[1]、研究者の中にはガッザーリー( الغزّالي al-Ghazzālī)と発音するべきだとする意見もある[1][2]。ヨーロッパではアルガゼル(Algazer)のラテン名で知られ、長らく哲学者と見なされていた。
![Thumb image](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/de/Al_Ghazzali_illustration.gif/220px-Al_Ghazzali_illustration.gif)
「ムハンマド以後に生まれた最大のイスラーム教徒」として敬意を集め[3]、スンナ派がイスラーム世界の中で多数派としての地位を確立する過程の中で最も功績のあった人物の一人に数えられる[4][5]。ガザーリーはスンナ派と対立するシーア派への反論、イスラーム哲学への批判、スーフィズム(神秘主義)への接近を通して、スンナ派のイスラーム諸学を形作った。ガザーリーは存命中に高い名声を得ていたが、没後のイスラーム世界でも思想的権威と見なされ、彼の理論はファトワー(法的回答)を発する多くのウラマー(イスラーム世界の知識人)によって、コーラン(クルアーン)やハディース(預言者ムハンマドの言行録)とともに参照されている[6]。弟のアフマド・ガザーリーもスーフィズムの思想家として知られており、彼の神秘主義思想の構築には弟の影響があったと考えられている[4]。