カゴ (被差別民)
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カゴ(Cagots)は、フランス西部とスペイン北部の被差別民である。彼らの居住地は、ピレネー山脈のナバーラ州、バスク州、ベアルン、アラゴン州、ガスコーニュ、ブルターニュに及ぶ。地域により様々な名称があり、ガスコーニュでは「カゴ(Cagots)」「ジェジタン(Gézitains)」「ガエ(Gahets)」「ガフェ(Gafets)」、バスクでは「アゴテ(Agotes)」「アゴタク(Agotac)」「ガフォ(Gafos)」、アンジューとラングドックでは「カポ(Capots)」、ブルターニュ半島では「カコン(Cacons)」「カエ(Cahets)」「カケー(Caqueux)」「カカン(Caquins)」と呼ばれる。史料によると、彼らの存在は紀元1000年にまで遡ることができる[1]。
カゴは差別を受け、隔離されて生きていた。彼らはカゴテリ(cagoteries)と呼ばれる辺鄙な一角に住むことを求められた。カゴには、いかなる政治的・社会的権利も与えられなかった。彼らが教会に入るときは専用の扉を使わねばならず、礼拝のときは他の信者と一緒にならぬよう仕切りで隔離されていた。彼らは秘跡に参加することが許されず、木製の匙の端で聖餐を授けられ、専用の聖水盤を使わねばならなかった。彼らは特殊な衣服を着るよう強制され、地域によっては、この衣服にガチョウかアヒルの脚が貼りつけられていることもあった(そこから彼らはカナール"Canards"と呼ばれることもあった)。彼らが触れるとペストに感染すると考えられたため、彼らが裸足で公道を歩くことや、彼らがカゴ以外の人間と同じコップで飲むことは犯罪とされた。カゴは大工や肉屋や縄職人になることしか許されなかった[2][3]。
カゴは民族集団でも宗教集団でもない。カゴは地元民と同じ言語を話し、通常は地元民と同じ宗教を信じていた。彼らの共通点は、カゴとみなされる祖先を持つことだけだった。彼らが差別された理由については、クレチン病だったから、ハンセン病だったから、宗教的異端者だったから、人肉食の習慣があったから、単に性質が邪悪だったから、などの諸説があるが、整合性のある理由はほとんど存在しない。カゴには固有の文化があったが、そのほとんどは文字に書き残されておらず、現代に受け継がれてもいない。結果として、彼らについては被差別に関わること以外ほとんど何も知られていない[4]。彼らに対する過酷な迫害は中世からルネサンス期、産業革命の時代にも続き、19世紀から20世紀に至ってようやく偏見の解消をみた。