オントーバ
ウィキペディアから
ウィキペディアから
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.
オントーバ(Hontoba)は、スペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州グアダラハーラ県の自治体。面積は32.14km²、スペイン国立統計局による2010年の人口は350人、人口密度は10.89人/km²。
オントーバはタフーニャ川の支流のひとつ、サン・セバスティアン川の形成する深い渓谷の奧部、断崖のふもとに位置する。その断崖の頂には、村の守護聖人ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・ジャーノスに捧げられた非常に古くからの礼拝堂がある。
オントーバはアランスエーケ、レネーラ、ウエーバ、エスコペーテ、エスカリーチェ、ロランカ・デ・タフーニャの各自治体と境界を接する。
オントーバの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3] |
オントーバの起源はイスラム教徒の村で、1124年アルフォンソ7世によって、再征服された。アルフォンソ7世の孫のアルフォンソ8世によって村はカラトラーバ騎士団に与えられ、15世紀まで同騎士団の領主権下にあった。その後カトリック両王によって王領に組み込まれた。
オントーバにある教会はラ・アルカリア(La Alcarria)で最も古いものの一つで、その後陣は13世紀初頭のものとされる。
オントーバの言い伝えによると、中世に現在礼拝堂のある場所で、聖母マリアが羊飼いの目の前に現れたという。それ以来1836年のメンディサバルの永代所有財産解放令が出されるまで、その場所に建てられたサン・ヘロニモ会の修道院まで、村人によって巡礼が行われていた。
自治体首長はカスティーリャ=ラ・マンチャ社会党(Partido Socialista de Castilla-La Mancha、PSCM-PSOE)のペドロ・パルド・ペレス(Pedro Pardo Pérez)[4]で、自治体評議員は、カスティーリャ=ラ・マンチャ社会党:4、カスティーリャ=ラ・マンチャ国民党(Partido Popular de Castilla-La Mancha、PPCLM):3となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[5]。
2011年5月22日自治体選挙[5] | |||||
政党 | 得票数 | 得票率 | 獲得議席 | ||
PSOE | 98 | 49.75% | 4 | ||
PP | 80 | 40.61% | 3 | ||
IU[6] | 15 | 7.61% | 0 |
首長当選者:ペドロ・パルド・ペレス(PSOE)
オントーバはアルカサル・デ・サン・フアン司法管轄区に属す[7]。