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ルーマニアの都市 ウィキペディアから
オラデア(Oradea(ルーマニア語), ハンガリー語 : ナジヴァーラド Nagyvárad, ドイツ語 : グロースヴァールダイン Großwardein)は、ルーマニア西部トランシルヴァニア地方(クリシャナ地方)の都市。ビホル県の県都である。
2002年の国勢調査によれば総人口は206,527人。これには近郊の自治体の人口は含まれていない。近郊を含むとオラデア一帯には220,000人が住んでいる。オラデアは温泉で有名である。その産出量は季節によって変わる。
クリシュル・レペデ川(早いクリシュ〈ケレシュ〉川)の谷がクリシャナ平原に向かって開いている地点に位置する。ハンガリーとの国境からは13キロメートル。居住地の主要部は氾濫原の上に位置し、クリシュル・レペデ川の壇地にある。クリシュル・レペデ川は町の中心を横断している。
オラデアが最初にラテン語文献に現れるのは1113年であり、このときはヴァラディヌム(Varadinum)という名で言及された。現在は廃墟として残っているオラデア城砦は、1241年にモンゴル帝国の来襲に備えるため修復と強化が始まったという記事が最古の記録である。
14世紀、ハンガリー王カーロイ1世とその息子ラヨシュ1世の時代には、オラデアはカトリック教会の司教座所在地となった。16世紀、トランシルヴァニアはオスマン帝国宗主下の自治権を持つ半独立国家トランシルヴァニア公国となり、その範囲の中にはオラデアのあるビホル地方も含まれた。1598年に要塞はオスマン帝国軍によって包囲され、1660年、オスマンはオラデアを占拠し、ハプスブルク帝国軍が侵攻して来る1692年9月まで支配下に置いた。
1703年には、ラーコーツィ・フェレンツ2世に率いられた反ハプスブルク運動が起こり、オラデア要塞の周囲の市場も、砦の中の帝国の駐屯部隊とラーコーツィの反乱軍との戦場になった。その時の帝国の駐屯部隊の支援においてのオラデア市民たちの功績は、1712年11月27日に、神聖ローマ皇帝カール6世によって公式に認められている。またそのころ、オラデア市民たちの経済的生活においては、手工業と商業が盛んになった事が特徴として挙げられる。
18世紀にはウィーン出身の技術者フランツ・アントン・ヒルデブラントがバロック様式による都市計画を行い、1752年に市の大規模な改造に着手した。ローマ・カトリック教会の大聖堂、大司教宮殿、クリシュの国博物館など、現在残る多くの建造物がこのときに建てられた。
1918年10月、ルーマニア国民党(en:Romanian National Party)のアウレル・ラザルの家で、トランシルヴァニアのルーマニア人の自治権の宣言文書であるオラデア宣言が編集された。
1925年、元の市民自治体が解散し、新たに自治体の地位がオラデアに与えられた。この条例に従い、名前もオラデア・マーレ(大きなオラデア)からオラデアへと変更された。
オラデアはハンガリーとの国境に位置し、ルーマニアの西ヨーロッパへの玄関口となっており、そのためにルーマニアでも有数の繁栄した都市である。1989年以降、オラデアは多くの経済的刷新に直面している。これは工業部門だけでなくサービス産業にも渡り、後者の刷新はオラデアが消費活動の重要な拠点であることによる。
オラデアの失業率は6.0%で、ルーマニア全国の失業率に比べればやや低いが、ビホル県全体の失業率約2%に比べれば非常に高い。
オラデア市はビホル県の人口のおよそ34.5%を占める一方、県の工業生産のおよそ63%を生産している。その主要な産業は、家具、織物と衣類、履き物、食品である。
2002年の国勢調査によれば、総人口に占めるそれぞれの民族の人口と割合は次のとおりである。
1848年以前、オラデアはオラデア・ノウア(Oradea Nouă)、オロシグ(Olosig)、ヴェレンツァ(Velenţa)、スブチェターテ(Subcetate)の4つに分かれた町で形成されていた。それぞれの区画はVicus Venetia、Villa Latinorum、Vicus Bolognia、Vicus Paduaなどとも呼ばれており、その名前は、18世紀にこの地に定住していたフランス人、ワロン人、イタリア人などの住民に関係している。
現在、オラデアは更に多くの地区(ルーマニア語:cartiere カルティエーレ)に分けられ、以前の市の中心区であるチェントルル・チヴィク(Centrul Civic)の周囲に環状に配置されている。
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市内の公共交通機関のネットワークは、市の機関であるOradea Transport Local(OTL)によって運行(オラデア市電)される、3本の路面電車線(1R、1N、2、3R、3N)と、いくつかのバス路線から成る。CFR(ルーマニア鉄道)の駅は、中央駅、西駅、東駅、エピスコピア・ビホル駅の4つがある。西駅はヨシア地区に位置し、中央駅(単にオラデアと呼ばれる)は市の中心街の側にある。また、東駅はヴェレンツァに位置する。
また、オラデア国際空港があり、タロム航空が毎日国内便を、カルパトエア(en:Carpatair)がドイツ、イタリア、フランス、ギリシャなどの都市への定期便をそれぞれ運航している[1]。
オラデアの観光名所は以下の通り。
オラデアには、3つのシナゴーグ(そのうち1つだけはまだ使用されていると思われる)と東ヨーロッパで最大のバプテストの教会を含む、異なる信仰のおよそ100の教会がある。
また、郊外にはバイレ・フェリックス(Băile Felix、「フェリックス温泉」の意)スパリゾートがあり、バスで行く事ができる。
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