オスマン帝国憲法
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オスマン帝国憲法(オスマンていこくけんぽう、オスマン語: قانون اساسى, トルコ語: Kanun-ı Esasî)は、1876年に発布されたオスマン帝国における成文憲法。
概要 オスマン帝国憲法, 施行区域 ...
オスマン帝国憲法 | |
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قانون اساسى(オスマントルコ語) Kanun-ı Esasî(トルコ語) | |
オスマン帝国憲法 | |
施行区域 | オスマン帝国 |
効力 | 廃止 |
公布 | 1876年12月23日 |
施行 | 1876年12月23日 |
元首 | 皇帝 |
立法 |
帝国議会(トルコ語版) (代議院(トルコ語版)・元老院(トルコ語版)) |
行政 | オスマン帝国政府(トルコ語版) |
司法 | オスマン帝国最高裁判所(トルコ語版) |
改正 | 7回[1] |
最終改正 | 1918年 |
廃止 | 1878年2月14日(停止) |
新憲法 | 共和国基本法及び1924年トルコ憲法(トルコ語版、英語版) |
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当時は「基本法」と呼ばれており、憲法作成に中心的役割を果たしたミドハト・パシャの名にちなみ、ミドハト憲法とも呼ばれる。1861年に公布されたフサイン朝チュニジアの憲法に次いでイスラーム世界二番目の憲法典である。一説にはベルギーの憲法を参考にしたといわれる。しかし1878年に憲法停止となり、1908年まで30年間専制政治に復することになった。