エレニ・パレオロギナ
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エレニ・パレオロギナ(Ἑλένη Παλαιολογίνα, 1428年2月3日 - 1458年4月11日)は、東ローマ帝国・パレオロゴス王朝の皇女の1人。キプロス王、名目上のエルサレム王、キリキア・アルメニア王、アンティオキア公であったジャン2世の2番目の妃となった。娘婿を毒殺したり夫の愛妾の鼻を削ぐなど、残忍な側面を持つ一方[1]、1453年のコンスタンティノープルの陥落後、数多くのギリシア人亡命者をキプロス島に受け入れたり経済的に支援するなど、政治的な行動力をも持ち合わせていた[1]。