エドマンド・アンドロス
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エドマンド・アンドロス(英: Edmund Andros、1637年12月6日 - 1714年2月24日)はイングランドの北アメリカ植民地の管理者である。ニューイングランド自治領が存在した3年間の大半で、その総督だった。それ以外には、ニューヨーク植民地総督、東ジャージと西ジャージー総督、バージニア植民地総督、メリーランド植民地総督を務めた。
概要 エドマンド・アンドロスSir Edmund Andros, 第4代 ニューヨーク植民地総督 ...
エドマンド・アンドロス Sir Edmund Andros | |
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第4代 ニューヨーク植民地総督 | |
任期 1674年2月9日 – 1683年4月18日 | |
前任者 | アンソニー・コルブ |
後任者 | トマス・ドンガン |
ニューイングランド自治領総督 | |
任期 1686年12月20日 – 1689年4月18日 | |
前任者 | ジョセフ・ダドリー |
後任者 | 無し(自治領が解体された) |
バージニア植民地総督 | |
任期 1692年9月 – 1698年5月 | |
前任者 | エッフィンガム卿フランシス・ハワード |
後任者 | フランシス・ニコルソン |
メリーランド植民地総督 | |
任期 1693年9月 – 1694年5月 | |
後任者 | ニコラス・グリーンベリー |
個人情報 | |
生誕 | 1637年12月6日 イングランド、ロンドン |
死没 | 1714年2月24日(1714-02-24)(76歳) イングランド、ロンドン |
墓地 | ロンドン、ソーホー、セントアン教会 |
宗教 | 聖公会 |
署名 |
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北アメリカでの任務に就く前にはガーンジーの管財人だった。アンドロスの見解が絶対的に聖公会(イギリス国教会)寄りであり、多くのピューリタンがいたニューイングランドでは否定的な特性だったので、ニューイングランドでの任務は権威主義的であり荒れ狂っていた。その行動が原因で1689年のボストン暴動によってその地位を失うことになった。
ニューヨーク植民地やバージニア植民地では実効のある総督と考えられたが、どちらの場合も植民地の著名人の敵となり、その多くがアンドロスの排除に動いた。
このような反目にも拘わらず、イロコイ族との盟約のチェーンを幾つか交渉することができ、植民地とイロコイ連邦と関係があったインディアン部族との永続する和平を設立できた。その行動と統治は概してその職に任命されたときに受けた指示に従っており、彼を指名した君主や政府から称賛を得ていた。
アンドロスは1698年にバージニアからイングランドに呼び戻され、ガーンジーの管財人に戻った。ガーンジーに永住することはなかったが、その島の副総督に指名され、4年間務めた。アンドロスは1714年に死んだ。