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イタリア半島中部の先住民族 ウィキペディアから
エトルリア人(ラテン語: Etrusci イタリア語: Etruschi)は、イタリア半島北部-中部(ボローニャ近郊からペルージャ‐ローマ近郊まで)に紀元前9世紀から紀元前1世紀まで住んでいた先住民族。インド・ヨーロッパ語族に属さない(先印欧語である)エトルリア語を使用していた。独自のエトルリア文化を築き、ギリシア人、フェニキア人と制海権を争い、特にギリシアでは海賊と見做され怖れられたが[1]、紀元前5世紀頃から衰退し、共和政ローマによって紀元前396年にウェイイを陥落させられ、他の諸都市も徐々にその支配下に入った[2]。
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初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされ、ローマ建築に特徴的なアーチは元々、エトルリア文化の特徴であったといわれる。また、王政ローマの王の幾人かはエトルリア人であったともいわれ、異民族の王を追放することによってローマは初期の共和政に移行した。
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