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ブルガリアの君主 ウィキペディアから
イヴァン・アセン2世(Иван Асен II, Ivan Asen II, ? - 1241年6月24日)は、第二次ブルガリア帝国の皇帝(在位:1218年 - 1241年)。初代皇帝イヴァン・アセン1世の子。
イヴァン・アセン2世 Иван Асен II | |
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ツァール | |
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在位 | 1218年 - 1241年 |
死去 |
1241年6月24日 |
配偶者 | アンナ |
アンナ・マーリア | |
イレネ・コムニーナ・ドゥーカイナ | |
子女 |
ベロスラヴァ エレナ カリマン1世 アンナ・テオドラ マーリア ミハイル2世・アセン |
家名 | アセン家 |
王朝 | 第二次ブルガリア帝国 |
父親 | イヴァン・アセン1世 |
母親 | イレネ |
父の死後、従兄にあたるボリルが皇位を簒奪していたが、イヴァン・アセン2世はハンガリー王アンドラーシュ2世の長女アンナ・マーリアを妻として迎え、その支援を受けてボリルから皇位を奪い返して即位した。
即位後は勢力拡大に乗り出し、トラキア、アルバニア、マケドニアを奪って帝国の最大領土を形成した。さらにニカイア帝国と同盟を結んでラテン帝国を攻撃しているが、これは不首尾に終わった。
また、ヴェネツィア共和国から商人を招いて通商関係を結んだり、修道院や大学などを積極的に築いたりなど、内政に尽力している。1232年にはブルガリア正教会をカトリック教会から独立させるなどして、帝国の全盛期を築き上げた。
1241年、死去。イヴァン・アセン2世の死後、帝国はジョチ・ウルスの攻撃を受けて衰えた。
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