イニーアス・マッキントッシュ
ウィキペディア フリーな encyclopedia
イニーアス・ライオネル・アクトン・マッキントッシュ(英: Aeneas Lionel Acton Mackintosh、1879年7月1日 - 1916年5月8日)は、20世紀のイギリス商船海軍士官、南極探検家。アーネスト・シャクルトン卿の帝国南極横断探検(1914年-1917年)で本隊を支援するロス海支隊の隊長を務めた。シャクルトンの南極大陸横断計画におけるロス海支隊の任務は、本隊が行進する予定ルートの後半部分に物資補給所を設置しておくことであった。度重なる障壁や困難に直面しながらも支隊は補給所設置の目的こそ果たしたが、エバンス岬の基地への帰途、マッキントッシュと他2人の隊員が帰らぬ人となった。
イニーアス・ライオネル・アクトン・マッキントッシュ | |
---|---|
生誕 |
Aeneas Lionel Acton Mackintosh (1879-07-01) 1879年7月1日 イギリス領インド帝国ベンガル・プレジデンシー、ティアハット (現在のインドビハール州) |
死没 |
1916年5月8日(1916-05-08)(36歳) 南極、マクマード入江 |
教育 | ベッドフォード・モダーン・スクール |
職業 | イギリス商船海軍士官、南極探検家 |
配偶者 | グラディス(旧姓キャンベル) |
子供 | パメラ=アイリーン・マッキントッシュ、グラディス=エリザベス・マッキントッシュ |
親 | アレクサンダー・マッキントッシュ、アニー・マッキントッシュ |
テンプレートを表示 |
マッキントッシュにとって初めての南極体験は、1907年から1909年にかけて二等航海士として参加したシャクルトンのニムロド遠征だった。南極大陸に到着してまもなく、マッキントッシュは船上の事故で右目を失ってニュージーランドに送り返されるも、1909年には遠征の後半に参加するために復帰した。逆境に立ち向かう意思と覚悟がシャクルトンの感銘を呼び、1914年のロス海支隊への参加につながった。
マッキントッシュが率いるロス海支隊は、南極で多くの問題に直面した。シャクルトンからの指示が紛らわしく曖昧であったため、マッキントッシュは本隊の確かな行進日程がわからない状態で行動した。また、隊の船であるオーロラ号が、上陸部隊に必要な機材や物資を船上に残したまま大風によって係留地から吹き流されて戻れなくなり、問題はいっそう深刻化した。補給所設置の任務で1人の隊員が死亡し、マッキントッシュ自身は絶体絶命の局面を仲間の助けによって救出され、一時はかろうじて生き延びた。しかし、体力を回復したのち、マッキントッシュは仲間の1人を伴い、不安定な海氷の上を渡って支隊のベースキャンプに戻ろうとして、そのまま行方が分からなくなった。
マッキントッシュは、極地歴史家らによってその資質や指導力が問題視されてきた。シャクルトンは支隊の仕事を称え、命を落とした隊員は第一次世界大戦の塹壕で犠牲になった者達と並ぶ殉難者だとしたが、他方でマッキントッシュの統率力については批判的であった。後にシャクルトンの息子エドワード・シャクルトン男爵は、マッキントッシュを同行者のアーネスト・ジョイスとディック・リチャーズとともに遠征隊の英雄として称えている。