イタリアのエジプト侵攻
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イタリアのエジプト侵攻(イタリアのエジプトしんこう)は、第二次世界大戦の北アフリカ戦線においてイタリア王国(以下「イタリア」と記す。)がイギリス、イギリス連邦及び自由フランスに対し取った攻勢である。
概要 イタリアのエジプト侵攻, 交戦勢力 ...
イタリアのエジプト侵攻 | |
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イタリアのエジプト侵攻前のアフリカ北部の状況 | |
戦争:第二次世界大戦 | |
年月日:1940年9月9日から16日 | |
場所:エジプト王国 | |
結果:決定的な勝利を得られず[* 1]。 | |
交戦勢力 | |
イタリア王国 イタリア領リビア |
イギリス 自由フランス 支援国 エジプト王国 |
指導者・指揮官 | |
ロドルフォ・グラツィアーニ マリオ・ベルティ イータロ・ガリボルディ ピエトロ・マレッティ(英語版) アニベール・ベルゴンゾリ(英語版) |
アーチボルド・ウェーヴェル ウィリアム・ゴット(英語版)[* 2] ジョン・チャールズ・キャンベル(英語版)[4] |
戦力 | |
約4個師団[* 3] [* 4] 航空機300機 |
1個旅団強[* 5] 航空機205機 海軍の支援 |
損害 | |
戦死120名 負傷410名[12][* 6] |
戦死40名[12][13][14] |
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この侵攻における当初の目標はスエズ運河の制圧だった。イタリア軍がイタリア領リビア(以下「リビア」と記す。)からスエズに到達するためには、エジプト王国(以下「エジプト」と記す。)北部を通過する必要があった。何度か攻撃は延期され、さらに攻勢の規模は当初よりも縮小された。 最終的に目標はエジプトへの侵攻と、その前面の敵部隊に対し攻撃を行なうことになった[1]。
イタリア軍はこの攻勢で約65 mi (105 km)エジプト領内へ侵攻した一方、イギリス軍の遅滞作戦部隊とは接触したものの、その主力部隊との本格的な交戦の機会はなかった。遅滞作戦は第7機甲師団 (en) 中の1個旅団強の部隊(第7支援群 (en) )がこれにあたった。第7機甲師団及びインド第4歩兵師団 (en) の残りの部隊から成るイギリス軍の主力は、イタリア軍が侵入した地点から約80 mi (130 km)離れたマルサ・マトルー (مرسى مطروح (en) ) に設定された主防衛陣地へ配置された。