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ドイツの哲学者、神学者 ウィキペディアから
アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン(独: Alexander Gottlieb Baumgarten、1714年7月17日 - 1762年5月26日[1])は、神聖ローマ帝国・プロイセン王国出身の思想家。ライプニッツからの伝統を受け継ぎ、「美学」の創始者として知られる。
1714年にベルリンで生まれた[2]。兄に神学者のジークムント・ヤーコプ・バウムガルテン(1706年 – 1757年)がいる[2]。1737年、ハレ大学員外教授。1740年、フランクフルト・アン・デル・オーデル大学教授。
1762年にフランクフルト・アン・デル・オーデルで死去した[2]。
ゴットフリート・ライプニッツとクリスティアン・ヴォルフの影響を受けた[2]。
バウムガルテンは1735年に提出した論文『詩に関する若干の事柄についての哲学的省察』において、次のように「美学」を定義した。
可知的なもの(νοητα、noēta)、すなわち上位能力によって認識されるものは論理学の対象であり、可感的なもの(αισθητα、aisthēta)は感性の学(aesthetica)としての美学の対象である。
つまりバウムガルテンが提唱した「美学」とは、論理学が従来範疇としてこなかった下位認識能力を扱う学である。簡単にいえば、知性ではなく、感性を扱う学である。この定義に従えれば、バウムガルテンが提唱したのは「美学」ではなく「感性学」と言うべきである。しかし、1757年に発表した『形而上学』において、バウムガルテン自身がaestheticaの訳語に「美しいものの学(die Wissenschaft des Schönen)」を充てている。したがって「美学」という訳語は、美学の提唱時の意味は失われているものの、バウムガルテンの意図は汲まれているといえる。
イマヌエル・カントはバウムガルテンに賛嘆の念を抱き[2]、自身の講義でバウムガルテンの『形而上学』を教科書として使っていた。だがカントは『判断力批判』の中で、美学は快不快の感情に基づくとした。
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