アレキサンダー・グランサム
香港総督 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
アレキサンダー・グランサム、GCMG(英語: Sir Alexander William George Herder Grantham、中国語: 葛量洪、1899年3月15日 — 1978年10月4日)はイギリスの植民地官僚。初期には香港政庁の輔政司署に勤務した後、バミューダとジャマイカの植民地長官、ナイジェリアの総務長官、フィジー総督兼西太平洋高等弁務官(英語版)の職を歴任した。1947年から1957年にかけて10年にわたり第22代香港総督を務め、これは1970年代のマクレホース卿に次いで長い任期である。
概要 君主, 植民地長官(輔政司) ...
GCMG アレキサンダー・グランサム Sir Alexander Grantham KT GCMG FRSE | |||||||||
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1950年代 | |||||||||
イギリス領香港 第22代 総督 | |||||||||
任期 1947年7月25日 – 1957年12月31日 | |||||||||
君主 | ジョージ6世 エリザベス2世 | ||||||||
植民地長官 (輔政司) | デヴィッド・マクドゥガル ジョン・ファーンズ・ニコル ロバート・ブラック エッジワース・デヴィッド(中国語版) | ||||||||
前任者 | マーク・ヤング | ||||||||
後任者 | ロバート・ブラック | ||||||||
イギリス領フィジー 第17代 総督 | |||||||||
任期 1945年1月1日 – 1947年3月21日 | |||||||||
君主 | ジョージ6世 | ||||||||
前任者 | フィリップ・ミッチェル(英語版) | ||||||||
後任者 | ブライアン・フリーストン(英語版) | ||||||||
イギリス領西太平洋領土(英語版) 第15代 西太平洋高等弁務官(英語版) | |||||||||
任期 1945年1月1日 – 1947年3月21日 | |||||||||
君主 | ジョージ6世 | ||||||||
前任者 | ハリー・チャールズ・ルーク(英語版) | ||||||||
後任者 | ブライアン・フリーストン(英語版) | ||||||||
個人情報 | |||||||||
生誕 | Alexander William George Herder Grantham 1899年3月15日 イギリスイングランド、サリー州、サービトン(英語版) | ||||||||
死没 | 1978年10月4日(1978-10-04)(79歳没) イギリスイングランド、ロンドン | ||||||||
国籍 | イギリス | ||||||||
中国語 | |||||||||
繁体字 | 葛量洪 | ||||||||
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グランサムは香港総督在任中に、国共内戦での中国国民党の敗北と、その結果として1949年に中国共産党が中華人民共和国を建国するのを目の当たりにした。新中国成立後の政変は香港の人口、社会、経済に甚大かつ広範な変化をもたらした。香港域内での国共両党の角逐と政治事件の頻発、そして朝鮮戦争の勃発が戦時下に負った社会インフラへの被害から立ち直れていない香港へとのしかかり、グランサムは極めて困難な立場に追い込まれた。
しかし、彼の施政下で香港政庁は戦後の基本構造を確立させる種々の措置を講じ、香港は従来の中継貿易港から製造業を基盤とした輸出港へと次第に変貌を遂げていった。