アルンシュタイン (ウンターフランケン)
ドイツ、バイエルン州マイン=シュペッサルト郡の市 ウィキペディアから
ドイツ、バイエルン州マイン=シュペッサルト郡の市 ウィキペディアから
アルンシュタイン (ドイツ語: Arnstein, ドイツ語発音: [ˈarnʃta‿in][2])は、ドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン行政管区のマイン=シュペッサルト郡に属す市である。ドイツの主要緯線と主要経線が唯一交わる地点が市内にある。
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | バイエルン州 |
行政管区: | ウンターフランケン行政管区 |
郡: | マイン=シュペッサルト郡 |
緯度経度: | 北緯49度58分46秒 東経09度58分12秒 |
標高: | 海抜 228 m |
面積: | 112.1 km2 |
人口: |
8,272人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 74 人/km2 |
郵便番号: | 97450 |
市外局番: | 09363, 09360, 09728, 09350 |
ナンバープレート: | MSP |
自治体コード: |
09 6 77 114 |
行政庁舎の住所: | Marktstraße 37 97450 Arnstein |
ウェブサイト: | stadt-arnstein.de |
首長: | フランツ=ヨーゼフ・ザウアー (Franz-Josef Sauer) |
郡内の位置 | |
地図 | |
本市は、ドイツの地理的中心地を占めている。この街はマインドライエック(マインの三角)を2つに分けるヴェルン川沿いに位置しており、シュヴァインフルトから約 20 km、ヴュルツブルクから約 25 km、アウトバーンのシュヴァインフルト/ヴェルネック・ジャンクションから 9 km(連邦道 B26a号線経由)の距離にある。市域の南部はグラムシャッツの森にあたる。バイエルン州測量管理局によれば、ウンターフランケンの地理的中心はアルンシュタインのビューヒオルト地区にある。
アルンシュタインは12地区(括弧内は2015年12月31日現在の人口)、20集落に分けられる[3]。
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本市の地名は元々中世の城塞名をその由来としており、人物名 Aro(猛禽類 "Aar"(ワシ)がアルンシュタインの紋章に描かれている)と中高ドイツ語の stein(岩もしくは岩山)とからなる[4]。
アルンシュタインは元々ヘネベルク家の所有地であり、リーネック家およびトリムベルク家のレーエンであった。アムト(管轄地域)とトリムベルク城を含むアルンシュタインは、13世紀末にヴュルツブルク司教領となった。その直前にアルンシュタイン城は建設され、借金の担保としてフッテン家に質入れされた。都市権(都市裁判権と市場開催権)の授与は、1333年に皇帝ルートヴィヒ4世によってなされた[5]。
都市の発展に重要であったのが、テュンゲン家とフッテン家であった[5]。
フランケン帝国クライスに属していたヴュルツブルク司教領のオーバーアムトは1803年に世俗化されてバイエルン領となり、1805年にトスカーナ大公フェルディナントによって創設されたヴュルツブルク大公国領となったが、1814年にバイエルン王国領に戻された。バイエルンの行政改革に伴う1818年の自治体令により現在の自治体が形成された。
アルンシュタインには古くからユダヤ人が住んでいた。この街は1298年のリントフライシュ迫害事件の現場となった。その後14世紀半ばから再びこの街にユダヤ人が住むようになった。
近世のコミュニティは16世紀の入植を起源とする。三十年戦争の間、ユダヤ人は明らかに何度も定住していた。これは田舎から都市に流入した可能性がある(1633年/1634年頃)。1675年、アルンシュタインには4家族のユダヤ人がいた。1699年にはユダヤ人コミュニティは35人であった。1740年頃になるとユダヤ人は7戸になっていた。1800年頃、当時のアムト・アルンシュタインでは、アルンシュタインだけにユダヤ住民がいた。ユダヤ人家族はみな、当初は市壁沿いのベッテンドルファー門からジーゲルスドルファー門までのかつてのユーデンガッセ(直訳: ユダヤ人通り、現在のゴルトガッセ)に住んでいた。
ユダヤ人家族は19世紀初めまでほぼ専ら交易を営んでいた。19世紀中頃に市内に店舗をオープンした。コミュニティが設けたのが、旧ユーデンガッセのシナゴーグ、宗教教育のあるユダヤ人学校、ミクワーである。ユダヤ人コミュニティーの死者はラウデンバッハ、オイアーバッハ、シュヴァンフェルトに葬られた。
1924年時点でアルンシュタインには35人のユダヤ教信者が住んでいた。当時6人の就学期の子供達にはヘルマン・ホルレンダーが教育を行った。このコミュニティはシュヴァインフルト・ラビ管区に属した。代表者はザロモン・バウアーであった。
1932年の就学期のユダヤ人の子供は3人だけであった。1933年に29人のユダヤ人が住んでおり、1935年には移住により32人に増えた。抑圧手段の高まりにより、1938年7月末までに25人の住民が他の街や外国に移住した。1935年に4人がパレスチナへ、4人がアメリカ合衆国へ移り住んだ。1937年に医師の L. ファイルヒェンブラウが逮捕され、1939年に懲役刑を宣告された。彼の痕跡はこの日から途絶えた。1938年初めにコミュニティは解散を宣言した。1938年11月排斥運動(水晶の夜)の暴動直後に、最後まで残っていた2人のユダヤ人が街を去った。1938年11月以後アルンシュタインにユダヤ人は住んでいなかった。ナチ時代、アルンシュタインの多くのユダヤ人が殺害された[6]。
1972年1月1日、それまで独立した町村であったビンスバッハが合併した。1972年7月1日にビューヒオルトがこれに加わった[7]。アルトベッシンゲン、ビンスフェルト、ハルスハイム、ホイグルムバッハ、ミューデスハイム、ノイベッシンゲン、ロイヒェルハイムは1974年7月1日に、これに続いた。1978年5月1日にゲンハイムとシュヴェーベンリートが合併した[8]。
1988年から2018年までの間にこの町の人口は7,723人から8,125人へ、402人、約 5.2 % 減少した。
アルンシュタインの市議会は20議席で構成される[9]。
アルンシュタインの市長は2019年からフランツ・ヨーゼフ・ザウアー (CSU) である。彼は 83.7 % の票を獲得して市長に選出された[10]。前任者のアナ・シュトルツは2014年から市長を務めたが、2018年10月14日にバイエルン州議会議員となったため新たな市長選挙が行われた。
図柄: 銀地。緑の三峰の山の上に、翼を広げて振り向いた、金の嘴と爪を持つ黒いワシ[11]。
この紋章は14世紀にまで遡る。
アルンシュタインは以下の都市と姉妹都市関係にある[12]。
アルンシュタイン市内に北緯50度と東経10度の交点がある。これは主要な緯線と経線が交わるドイツで唯一の場所である。北緯50度線はマイン線[訳注 1]にあたる。東経10度線は、大陸を分けるベーリング海峡が経度180度線からずれているため、この海峡を両端とするように開いた世界地図において中心的な垂直線となる。
1980年代末に、アウトバーンのシュヴァインフルト/ヴェルネック・ジャンクションの西(アルンシュタイン方面) 5 km の連邦道 B26a号線北側に交点記念碑が建設された。この石の記念碑はヴァスビュールの彫刻家ユリアン・ヴァルターによる、円柱の上に地球が乗っているデザインである。球の上には象徴的に緯線と経線が彫り込まれ、その交点にアルンシュタインの紋章が描かれている。
この記念碑は厳密に交点に位置しているわけではない。本当の交点は、記念碑の 222 m 北、数 m 西の空き地である[13]。
1884年の国際子午線会議では、国際本初子午線をベーリング海峡に置くことが議論された。これが実現していれば、アルンシュタインを通る東経10度の経線が180度の経線となっていた。しかしベーリング海峡には観測所を置くことができず、電信機能もつながっていないため、この提案は却下された。
2005年5月、アルンシュタイン近郊に、当時世界最大の太陽光発電施設「ゾラールフェルト・エルラゼー」がオープンした。
この街最大の雇用主は、100年ほど前から続く MIWE ミヒャエル・ヴェンツ GmbH である。アルンシュタインの MIWE の本社工場では、約400人の従業員が工業用の炉、製パン業者のオーブン、冷却用の釜を製造している。
アルンシュタインには、1885年からアルンシュタイナー・ブラウエライ・マックス・ベンダーがある。このブルワリーは4世代続くファミリー企業である。
アルンシュタインには以下の教育機関がある[14]。
また、幼稚園/保育園が7園存在する[15]。
市の東をアウトバーン A7号線が通っており、連邦道 B26a号線およびシュヴァインフルト/ヴェルネック・ジャンクション経由で利用することができる。連邦道 B26号線と、それに並行して走るヴェルンタール鉄道は市域を東西に横切っている。カールシュタット、シュヴァインフルト、ヴュルツブルクへのバスが運行されている。アルンシュタイン駅は旅客営業を行っていない。単線のヴェルンタール鉄道は専ら貨物列車が運行している。
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