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オランダの画家・著述家 ウィキペディアから
アルノルト・ホウブラーケン(Arnold Houbraken, 1660年3月28日 - 1719年10月14日)は、オランダの画家、著述家。現在ではオランダ絵画黄金時代の画家たちの伝記『ネーデルラントの画家たちの大劇場(以下、大劇場と略す)』("De groote schouburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen":1718年から1721の間に刊行)を残したことで知られている。
ドルトレヒト出身。ヤコブ・レベック (Jacobus Leveck) や サミュエル・ファン・ホーホストラーテンの元で学んだ[1]。1685年に Sara Sasboutと結婚し、1709年頃にはドルトレヒトからアムステルダムに移り、1719年にそこで亡くなった。
ホウブラーケンは神話画、宗教画、肖像画、風景画などを手掛けた。彼は画家たちのための手引書としてエンブレム・ブック Inhoud van 't Sieraad der Afbeeldingを残している。
10人の子供を持ち、息子のヤコブス・ホウブラーケン (Jacobus Houbraken) は版画家となり、父親の没後、母親を助け、『大劇場』の最終巻の刊行を行った。娘のアントニーナ・ホウブラーケン (Antonina Houbraken) も同じく版画家となり、現在では人物や動物が含まれる都市の景観図で知られている。
彼の『大劇場』には17世紀の画家たちの伝記が約500収められている。3巻から成るこの書はカレル・ヴァン・マンデルの『画家列伝』や サミュエル・ファン・ホーホストラーテンの『絵画芸術の高等画派入門』に倣って書かれた。また、他の人物が書いた伝記からの引用も含まれている。
他には、ホウブラーケンの画家としてのネットワーク、特にオランダの聖ルカ組合の組合員から得た情報が含まれている。また、画家のフィンセント・ファン・デル・フィンネの日記も用いられている。ホウブラーケンは1719年に亡くなったが、彼の妻が引き継いで彼の本を完成させた。ホウブラーケンの死後30年経って拡充された第二版が出版された。彼の本は美術史家にとって重要なもので、1976年に第二版のファクシミリがアムステルダムで出版された。この本は現在en:Digital library for Dutch literatureで読むことができる。重要な画家として500名程、その他に150名が列挙されている。この本は出版関係者を含めると1000名近くの人物に言及している。
※リンク先はすべてオランダ語。
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