アルタートハイム
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アルタートハイム (ドイツ語: Altertheim) はドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン地方のヴュルツブルク郡の町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)で、キスト行政共同体を形成する町村である。
紋章 | 地図 (郡の位置) |
---|---|
基本情報 | |
連邦州: | バイエルン州 |
行政管区: | ウンターフランケン行政管区 |
郡: | ヴュルツブルク郡 |
市町村連合体: | キスト行政共同体 |
緯度経度: | 北緯49度43分38秒 東経09度45分55秒 |
標高: | 海抜 290 m |
面積: | 24.06 km2 |
人口: |
2,046人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 85 人/km2 |
郵便番号: | 97237 |
市外局番: | 09307 |
ナンバープレート: | WÜ, OCH |
自治体コード: |
09 6 79 165 |
行政庁舎の住所: | Oberes Tor 2 97237 Altertheim |
ウェブサイト: | altertheim.de |
首長: | ベルント・コルプマン (Bernd Korbmann) |
郡内の位置 | |
地図 | |
アルタートハイムはヴュルツブルクの南西約16kmに位置し、バーデン=ヴュルテンベルク州マイン=タウバー郡と境を接する。州道2297号線が町を貫いている。約5kmで連邦アウトバーンA3号線およびA81号線に接続する。
この地域は、マインフランケン・プレートの一部であるマルクトハイデンフェルト・プレートに属す。集落はアルトバッハ川の渓谷に位置している。アルトバッハ川はこの町内に湧出する。
この町は、公式には3つの地区 (Ort) からなる[2]。
ウンターアルタートハイムは775年に初めて文献上に記録されている。現在の町域は、かつてカステル伯領の一部であった。ウンターアルタートハイムとオーバーアルタートハイムは、1806年にまずバイエルン大公領に陪臣化された。1810年にトスカーナ大公フェルディナンド3世のヴュルツブルク大公国に移されたが、1814年に最終的にバイエルン王国領となった。バイエルンの行政改革の時代、1818年の市町村令により現在の自治体が成立した。1825年6月28日にオーバーアルタートハイムの大部分を焼く火事があり、1人が犠牲となった。オーバーアルタートハイム、ウンターアルタートハイムおよびシュタインバッハは1978年のバイエルン州の市町村再編により行政上統合された。1997年には、町境付近の小さな区域がバーデン=ヴュルテンベルク州のヴェルバッハに移管された。
この町は主にプロテスタント、ルター派の町である。Liebenzeller-Missionといった教会組織もアルタートハイムに発足した。この他、ローマ・カトリックの信者もこの町にはいる。
オーバーアルタートハイム地区には、ナチス独裁時代までシナゴーグがあった。その調度は1938年11月の迫害運動によって破壊された。小さなユダヤ教組織は1942年まで存在していたが、この年まで残っていたユダヤ人家族もホロコーストに連れ去られた。ツァウンリュッケ2番のシナゴーグの建物に取り付けられた記念のプレートは、1990年に撤去されるまで宗教組織や消滅した組織を思い起こさせる[3]。
ウンターアルタートハイム地区には、ブルンネン通りにシナゴーグが現存している。この建物は地元の塗装業者の倉庫に転用されている。
赤地と銀地の市松模様に四分割。左上と右下には、金の蘂を持つ図案化された銀のバラが描かれている。赤と銀はカステル伯に、銀のバラはヴェルトハイム伯に由来する。
紋章創設の経緯: オーバーアルタートハイム、シュタインバッハ・バイ・ヴュルツブルク、ウンターアルタートハイムが合併して成立した新しい町アルタートハイムは初めヴェルトハイム伯領に属した。この家系が断絶(1556年)すると、この地域はカステル伯家の所領に移された。カステル伯家の紋章は赤と銀の市松模様の四分割であり、ヴェルトハイム伯の徴として銀の図案化されたバラが採られた。この両者を組み合わせた形の紋章は1967年にはすでにオーバーアルタートハイムの紋章として用いられていた。新しく設立されたアルタートハイムは、この紋章を変更せずに採用した。