アルスフの戦い
第3回十字軍における著名な戦い。戦役の流れを変えた重要な戦いとして知られている。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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アルスフの戦い (英: Battle of Arsuf ) とは、1191年9月7日に勃発した第3回十字軍における戦闘の1つである。この戦いではイングランド王リチャード1世率いる十字軍とサラディン率いるアイユーブ朝軍が戦った。そしてリチャード1世がサラディンを撃破し、サラディンは多くの兵を失って敗走した。
アルスフの戦い | |||||||||
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第3回十字軍中 | |||||||||
アルスフの戦い | |||||||||
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衝突した勢力 | |||||||||
アンジュー帝国 フランス王国 エルサレム王国 ホスピタル騎士団 テンプル騎士団 他国からの軍団 | アイユーブ朝 | ||||||||
指揮官 | |||||||||
イングランド王リチャード1世 ブルゴーニュ公ユーグ3世 ギー・ド・ルジニャン ガルニエ・ド・ナブルス(英語版) ロベール・ド・サブレ(英語版) ジャメス・ド・アヴェーヌ (英語版) † シャンパーニュ伯アンリ2世 |
サラディン サファディン アル=アフダル アラディン・オブ・モースル Musek(クルド人の大エミール) † en:Al-Muzaffar I Umar | ||||||||
戦力 | |||||||||
計11,200人[2][3]
| 騎兵:25,000 [2] | ||||||||
被害者数 | |||||||||
戦死:約700人(推定)[4] | 戦死:7,000人(推定)[5] |
1191年7月12日、十字軍は港町アッコを占領した。リチャードはエルサレムを奪還するためには要衝ヤッファの占領が不可欠であると考え、アッコ占領後、ヤッファを包囲するために南進を開始した。サラディンはこの十字軍の南進を妨害するため、アッコとヤッファの間に位置する沿岸部の町 アルスフ(英語版)郊外に陣を張り、リチャード1世の到来を待ち構えた。そして十字軍に対して何度も襲撃を繰り返し、隊列を崩そうと試みた。しかし、リチャード率いる十字軍の隊列は堅く、サラディンは隊列を崩すことができなかった。小規模な襲撃では十字軍の隊列を崩すことができないと察知したサラディンは、十字軍が開けた平野を通過する際、全軍をもって十字軍に一斉攻撃を仕掛けた。十字軍は防御体制を保ったまま進軍を続け、リチャードは反撃に最適な機会が来るまでサラディン軍に反撃することなく、十字軍はただひたすら耐え続けた。しかし、サラディンの執拗な攻撃に耐えかねたホスピタル騎士団がアイユーブ軍に対して独断で反撃を敢行した。十字軍の一隊が反撃を開始したことで、戦況的にリチャード1世は全軍に反撃を命じざるを得ない状況に置かれ、ついに十字軍はサラディンに対して一斉に反撃した。十字軍はサラディン軍を粉砕した。リチャードは配下の騎馬隊に対して、敗走するサラディン軍への執拗な追撃を止めるよう下知して再結集させ、そのままアルスフの砦へと入城した。結果、十字軍は大勝利を掴み取った。