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アシュ・ラ・テンペル(Ash Ra Tempel)は、マニュエル・ゲッチングを中心に、1970年西ベルリンで結成されたロック・バンド。
アシュ・ラ・テンペル Ash Ra Tempel | |
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別名 | アシュラ |
出身地 | ドイツ ベルリン |
ジャンル |
クラウトロック ミニマル・ミュージック 電子音楽 |
活動期間 | 1970年 - |
レーベル | ヴァージン・レコード |
公式サイト | Ashra - The Official Website |
メンバー |
マニュエル・ゲッチング (ギター) クラウス・シュルツェ (ドラムス) |
旧メンバー |
ハルトムート・エンケ (ベース) ヴォルフガング・ミュラー ロージ・ミュラー |
クラウトロックの代表的なバンドであり、アジテーション・フリー、アモン・デュール、タンジェリン・ドリームなどと同様、当時のサイケデリック・カルチャーの影響を大きく受けていた。英米ではピンク・フロイドなどとともにスペース・ロックに分類されることが多い。
初期の作風は瞑想的な 即興ロックだったが、後期にはテクノの原型ともいえる作風となった。1988年にイギリスでアンビエント・ハウスが流行し、さかんにサンプリングされたことにより再評価された。
1971年6月に、1stアルバム『ファースト』をリリース。オリジナル・メンバーは、マニュエル・ゲッチング(ギター)、ハルトムート・エンケ(ベース)、クラウス・シュルツェ(ドラムス)の3人。ほどなくシュルツェがシンセサイザー音楽追求のために脱退し、アルバム『セカンド (振動)』以降はゲッチングが一貫して音楽的主導権を握る。
1973年の3rdアルバム『セヴン・アップ』は、LSDのグルとして知られるティモシー・リアリーが参加したアルバムである。録音の際には仲間のミュージシャンがスタジオに7、8人もつめかけ、LSD入りのセブンアップを飲みながらセッションを行ったという。
同年発表の4thアルバム『ジョイン・イン』のあと、ドラッグによる後遺症でエンケが脱退する。結成当初のメンバーに去られたマニュエルは、4thアルバムにも参加していたモデルのロージ・ミュラー(マニュエルの私的なパートナーでもあった)をフィーチャーして、ポップな5th『スターリング・ロージ』を制作発表。
1975年のソロ名義ながら6thアルバムにあたる『インヴェンションズ・フォー・エレクトリック・ギター』では作風を一変させ、ギターのオーバー・ダビングとディレイによるミニマル・ミュージックを試みている。
1976年、バンド名をアシュラに変更。ヴァージン・レコードと契約し、7thアルバム『ニュー・エイジ・オブ・アース』以下の4作品をリリース。いずれもシンセサイザーやシーケンサーとギターフレーズの積極的な同期を試みた、アンビエント、テクノ、あるいはニューエイジ・ミュージック的な作品である。
1997年に初来日、ライブ・アルバム(『@shra』『@shra Vol.2』)を発表。また、1995年にクラウス・シュルツェのアルバム『In Blue』に収められた楽曲「Return of The Tempel」で久々の競演を果たし、2000年には2人でアシュ・ラ・テンペルの名を復活させ、かつてのメンバーだったハルトムート・エンケに捧げるアルバム2枚をリリースした。アシュラとしてのリリースは2002年のアウトテイク集以降はないものの、2008年にはマニュエル・ゲッチング & アシュラ名義で来日し、テクノフェスティバル METAMORPHOSEでライブを披露した。
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