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ロシアのバレリーナ、バレエ教師 ウィキペディアから
アグリッピナ・ヤコヴレヴナ・ワガノワ (露: Агриппи́на Я́ковлевна Вага́нова、Agrippina Yakovlevna Vaganova、1879年7月6日-1951年11月5日)は、ロシアのバレリーナ、バレエ教師。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民芸術家。
ロシアの名門バレエ学校「ワガノワ・バレエ・アカデミー」は卒業生でもある彼女の名にちなむ。
1879年にサンクトペテルブルクに生まれる。
帝室バレエ学校(現ワガノワ・バレエ・アカデミー)で学び、1897年卒業と同時にサンクトペテルブルクバレエ団(現マリインスキー・バレエ)にコール・ドとして入団。確かな技術、男性舞踊手並みの高さのある跳躍、安定した動きで、“ヴァリエーションの女王”の名をほしいままにしていた。しかし、当時圧倒的に注目を集めていたバレリーナ、アンナ・パヴロワやマチルダ・クシェシンスカヤらの活躍もあり、現役時代は舞台に恵まれなかった。そして引退直前に、バレリーナに昇格した。
1916年に引退。1921年から母校のバレエ学校で教える。ここで自分なりに理解したものを教授していき、次第に信憑性を深めていき、マリナ・セミョーノワをはじめ、ガリーナ・ウラノワ、イリーナ・コルパコワ、ナタリア・ドゥジンスカヤら、バレエ史に名を残すダンサーを次々と育て上げた。
1931年から1937年までキーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)の芸術監督に就任。
1951年、レニングラード(現サンクトペテルブルク)で死去。1957年からレニングラード・バレエ学校(旧称 帝室バレエ学校)は彼女の名を冠するようになった。
1934年に「クラシックバレエの基礎」を出版し、世界中にバレエの教授法を広めた。
「イタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで成熟した」と云われるバレエだが、ワガノワ・メソッドは三国の特色の折衷を取りながら、身体のあらゆる部分を意識的に使ってバランスを保ち、自然な流れでパ(ステップ)とパをつなぐことを基礎とした実践的な教授法だった。
数ある教え子のなかでも特にセミョーノワとウラノワはボリショイ・バレエ学校で、ドゥジンスカヤはワガノワ・アカデミーで、優れたバレエ教師として多くの著名ダンサーを送り出し、ワガノワ・メソッドの後継者となった。
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