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アウグスト・カール・ヨーゼフ・コルダ(August Carl Joseph Corda、1809年10月22日 – 1849年)はチェコの医師、菌類学者である。
ライヘンベック(現在はチェコのリベレツ)の繊維商の息子に生まれた[1]。両親はコルダが生まれた後、まもなく没した。祖母に育てられるが1919年に祖母も死に、孤児院で育った後、プラハの叔父の世話を受けた。プラハで初頭教育を受けた後1824年に専門学校に入り、薬学を学んだ。
1827年に専門学校を卒業した後、プラハでしばらく薬局で働いた後、プラハ大学に医学を学ぶために入学した。コレラの流行が起こり、プラハの病院の医療助手として働いた。その後、ロキツァニやライヒシュタット(現在のZákupy)、ニーメス(現在のMimoň)、ツヴィッカウなどでコレラの治療に従事した[2]。1832年に治療行為に疲れ、医師を辞めた[1]。
ベルリンを訪れ、親しくなったの植物学者の、クルト・シュプレンゲルや、当時の高名な博物学者たち、アレクサンダー・フォン・フンボルト、カール・ジギスムント・クント、ヨハン・ホルケル、マルティン・ハインリヒ・リヒテンシュタインらと6週間ほど交流し、植物学の研究に専念することになった[1]。プラハに戻った後、1835年からプラハの博物館の創立者のカシュパル・マリア・シュテルンベルクと知り合い博物館の学芸員として働いた[3]。
「これまで知られている菌類の図譜」("Icones fungorum hucusque cognitoru"m)6巻や"Prachtflora europäischer Schimmelbildungen"などの菌類に関する著作を行い、真菌の胞子のサイズを記述した最初の菌類学者とされる[4]。
1847年にアメリカ合衆国に渡り、テキサスで調査を行い、カリブを航海中の船中で行方不明となり、死亡したとされる[3]。
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