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徳川家康の側室。志水宗清(清水、紀姓田中氏支流志水氏、石清水八幡宮の社人、京都正法寺)の娘。母は東竹甲清の娘・龍雲院 ウィキペディアから
お亀の方(おかめのかた)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての日本の女性。徳川家康の側室[1]。初代尾張藩藩主・尾張徳川家の祖・徳川義直の生母[1]。家康没後は相応院と称した[1]。
石清水八幡宮の祠官・志水宗清の娘[1][2]。母は東竹甲清の娘・龍雲院。
はじめ竹腰正時に嫁ぎ、竹腰正信を生む[1]。夫と死別後、奥勤めに入る。その後、石川光元の側室となり石川光忠を生む。
光元と離縁後の文禄3年(1594年)、21歳の時、家康に見初められ側室となる[1]。
文禄4年(1595年)に仙千代を生む。仙千代は、慶長5年(1600年)2月、6歳で夭折する[1]。仙千代の菩提を弔うため、高岳院(現・名古屋市東区)を建立した[1]。
同年11月、五郎太丸(後の徳川義直)を生む[1]。家康の死後、相応院と名乗り、義直のいる名古屋城で暮らした[1]。
慶長18年(1613年)、浅野幸長が嗣子なく死去した際、その弟・長晟からの依頼で、家臣・山下氏勝とともに、長晟の家督相続に向けて関与した[3]。
寛永20年(1643年)、義直は、お亀の方の菩提を弔うため宝亀山相応寺(現・名古屋市千種区城山町)を建立した[4][5]。
妹(隆正院松譽貞春)は、家臣・山下氏勝に嫁いだ[6]。
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