Loading AI tools
メキシコのサッカー選手、監督 ウィキペディアから
ハビエル・アギーレ・オナインディア(西: Javier Aguirre Onaindía、1958年12月1日 - )は、メキシコ・メキシコシティ出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。両親はスペイン・バスクからメキシコへの移民者で、アギーレ自身はバスク系メキシコ人[1]。長男は弁護士、次男はサッカー指導者、三男はサッカー選手である。ハビエル・アギレとも[2]。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2006年のアギーレ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ハビエル・アギーレ・オナインディア Javier Aguirre Onaindía | |||||
愛称 | El Vasco(バスク人)[1] | |||||
ラテン文字 | Javier Aguirre | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
メキシコ スペイン | |||||
生年月日 | 1958年12月1日(65歳) | |||||
出身地 | メキシコシティ | |||||
身長 | 173cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF / DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1980 | アメリカ | 9 | (1) | |||
1980-1981 | ロサンゼルス・アズテックス | 30 | (4) | |||
1981-1984 | アメリカ | 128 | (31) | |||
1984-1986 | アトランテ | 31 | (3) | |||
1986-1987 | オサスナ | 13 | (0) | |||
1987-1993 | グアダラハラ | 181 | (17) | |||
通算 | 392 | (56) | ||||
代表歴 | ||||||
1983-1992 | メキシコ | 59 | (14) | |||
監督歴 | ||||||
1995-1996 | アトランテ | |||||
1998-2001 | パチューカ | |||||
2001-2002 | メキシコ | |||||
2002-2006 | オサスナ | |||||
2006-2009 | アトレティコ・マドリード | |||||
2009-2010 | メキシコ | |||||
2010-2011 | サラゴサ | |||||
2011-2014 | エスパニョール | |||||
2014-2015 | 日本 | |||||
2015-2017 | アル・ワフダ | |||||
2018-2019 | エジプト | |||||
2019-2020 | レガネス | |||||
2020-2022 | モンテレイ | |||||
2022-2024 | マジョルカ | |||||
2024- | メキシコ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
現役時代のポジションは、フォワードとして選手生活をスタートし、やがてミッドフィールダー、選手生活晩年はディフェンダー(CB)。メキシコ代表選手として1986年ワールドカップ・メキシコ大会に出場した。現役引退後、1994年ワールドカップ・アメリカ大会にアシスタントコーチとして代表に同行し、また代表監督として2002年ワールドカップ・日韓大会、2010年ワールドカップ・南アフリカ大会の2大会で指揮を執った。2014年7月から2015年2月まで日本代表監督を務めた。
選手としては、所属したクラブで392試合に出場し56得点、メキシコ代表選手として59試合に出場し14得点を記録している。監督としては、メキシコ国内のCFアトランテ、CFパチューカで実績をあげる。メキシコ代表監督としては、2002年ワールドカップの最終予選、10節中5節を終えて1勝3敗1分、勝ち点4の6ヶ国中4位と、本大会への出場が危ぶまれる状況にあった段階で就任し、2001年7月1日に初采配。アルベルト・ガルシア・アスペ、クアウテモク・ブランコ、フランシスコ・パレンシアを代表に呼び戻し、残り5節を4勝1分で乗り切って、5勝3敗2分の勝ち点17で11月11日の最終節に本大会出場3位以上を確定させ、母国を救った。本大会でもグループリーグを2勝1分で突破し16強に導いた。大会終了後はスペインのCAオサスナの監督に就任。弱小であった同クラブで2005-06シーズンにはリーガ・エスパニョーラで4位に入り、翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得できるまでに強化した。その実績を買われ、翌シーズンからはアトレティコ・マドリードの監督に招聘された。アトレティコでの2シーズン目となる2007-08シーズンには12シーズンぶりに4位以内に入り、暗黒期からの復活を期すアトレティコとして一定の成果を残した。2008年12月、UDアルメリアの監督にウーゴ・サンチェスが就任し、スペイン1部で指揮を取るメキシコ人監督はふたりになった。2009年に入ってから2分3敗と1勝も出来ず、2月3日に解任された[3]。
2009年4月、2010年ワールドカップの最終予選において、3節を終えて1勝2敗と再び本大会出場に黄信号が灯り、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督は解任され、これを受けて7年ぶりにメキシコ代表監督に就任した。就任後、代表から退いていたブランコを再び呼び戻して主将を命じた。代表は4節を落とし窮地は深まったが、ここから一気に5連勝(最終節は引き分け)し、6勝3敗1分の勝ち点19でチームを2位に押し上げて2010年ワールドカップ出場に導いた。本戦でもフランス代表を撃破して再び16強に進出した。同大会後、メキシコ代表監督を辞任。2010年にはJFAが日本代表監督に打診していたが、家族の事情もあり見送った。
2010年11月18日、レアル・サラゴサの監督に就任[4]。2012年からRCDエスパニョールの監督を務め、2014年5月に退任した。
2014年7月、JFAが日本代表監督に招聘[5]。8月に就任した。
2014年12月には、2011年5月に指揮していたサラゴサのリーガ残留をかけたレバンテUD戦を廻る八百長疑惑で、スペインの検察当局から関与した疑いのあるアンデル・エレーラ、ガビらとともに告発された[6]。2015年1月14日、スペインメディアにより、バレンシアの裁判所が訴追を受理、同年2月には事情聴取が始まるとの報道がなされた[7]。日本代表監督就任後初の国際大会となったアジアカップ2015ではグループステージを無失点で3連勝し首位通過するも、決勝トーナメントでは準々決勝UAE戦でPK戦の末に敗れ、ベスト8で敗退した。八百長に関与した疑いにより、2015年2月3日、日本サッカー協会からサッカー日本代表監督としての契約解除が発表された[8]。
2015年6月、UAE・アラビアン・ガルフ・リーグのアル・ワフダFCの監督に契約期間1年で就任[9]。
その後1年間契約を延長し、2017年6月末に契約満了となり退任した[10]。
2018年8月1日、サッカーエジプト代表の監督に就任した。
しかし、2019年7月に地元エジプトで開催されたアフリカネイションズカップ2019にて、グループリーグを首位通過しながらも決勝トーナメントラウンド16で南アフリカに0-1で敗れたことから、7月6日に解任が発表された[11]。
2019年11月4日、CDレガネスの監督に就任したことが発表された[12]。最下位の状態で監督に就任後、すぐに好成績を収めたが、最終節で2部リーグに降格することになった。
2020年12月7日、アントニオ・モハメドに代わってC.F.モンテレイと2シーズンの契約を結んだ。CONCACAFチャンピオンズリーグで優勝し、5度目のタイトルとFIFAクラブワールドカップ出場を達成した。
2022年3月24日、ルイス・ガルシア・プラザの解任に伴い、スペイン・プリメーラ・ディビシオンのRCDマジョルカと契約すると、ラスト3試合で2勝1分の粘りを見せ、降格圏とのポイント差は『1』でプリメーラ・ディビシオンに踏みとどまった。
就任2年目となった2022-23シーズンは前年と一転。MFイ・ガンインとFWヴェダト・ムリキのホットラインを最大限に活かすスタイルで、開幕前は降格候補に挙げられながらも、蓋を開けてみれば9位フィニッシュとトップハーフ入りを果たした。
2023-24シーズンは再び残留争いに巻き込まれるものの、第37節でプリメーラ・ディビシオン残留を確定させた。コパ・デル・レイではクラブ史上4度目のファイナリストとなった(決勝戦はPK戦の末に、アスレティック・ビルバオに敗れた)。2024年5月22日、同シーズン限りでの退任が発表された[13]。
2024年7月22日、自国開催となる2026年のワールドカップを控えたメキシコ代表監督への就任が発表された。自身3度目の就任となる[14]。
クラブ | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 | ||||
メキシコ代表 | 2001年6月21日 | 2002年7月1日 | 27 | 17 | 3 | 7 | 40 | 19 | +21 | 62.96 | |
オサスナ | 2002年7月1日 | 2006年5月19日 | 177 | 66 | 49 | 62 | 207 | 221 | −14 | 37.29 | |
アトレティコ・マドリード | 2006年5月23日 | 2009年2月2日 | 131 | 61 | 31 | 39 | 206 | 147 | +59 | 46.56 | |
メキシコ代表 | 2009年4月3日 | 2010年6月30日 | 32 | 19 | 7 | 6 | 60 | 24 | +36 | 59.38 | |
レアル・サラゴサ | 2010年11月18日 | 2011年12月29日 | 45 | 13 | 10 | 22 | 43 | 68 | −25 | 28.89 | |
エスパニョール | 2012年11月28日 | 2014年5月27日 | 69 | 22 | 18 | 29 | 79 | 88 | −9 | 31.88 | |
日本代表 | 2014年7月24日 | 2015年2月2日 | 10 | 6 | 2 | 2 | 19 | 10 | +9 | 60.00 | |
アル・ワフダ | 2015年6月18日 | 2017年5月20日 | 78 | 34 | 21 | 23 | 154 | 108 | +46 | 43.59 | |
エジプト代表 | 2018年8月1日 | 2019年7月6日 | 12 | 9 | 1 | 2 | 25 | 7 | +18 | 75.00 | |
レガネス | 2019年11月4日 | 2020年7月19日 | 30 | 9 | 11 | 10 | 30 | 36 | −6 | 30.00 | |
モンテレイ | 2020年10月7日 | 2022年2月26日 | 53 | 23 | 17 | 13 | 75 | 44 | +31 | 43.40 | |
マジョルカ | 2022年3月24日 | 現在 | 24 | 10 | 5 | 9 | 29 | 27 | +2 | 41.67 | |
合計 | 688 | 289 | 175 | 224 | 967 | 799 | +168 | 42.01 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.