コルベルク包囲戦 (七年戦争)
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この項目では、1750年代と1760年代の包囲戦について説明しています。それ以外の戦闘については「コルベルクの戦い」をご覧ください。 |
コルベルク包囲戦(コルベルクほういせん、英語: Siege of Kolberg)は七年戦争中に3度おきた、主にロシア軍によるプロイセン領ポンメルン州(英語版)のコルベルク(現ポーランド領コウォブジェク)の包囲。1759年10月の第一次包囲と1760年8月から9月にかけての第二次包囲[1]は失敗したが、1761年8月から12月にかけての第三次包囲は成功した[2]。第二次と第三次包囲ではスウェーデンの援軍も包囲に参加した[3]。
コルベルク陥落の結果、プロイセンはバルト海岸にある主要な港を全て失った一方[4]、ロシア軍はポンメルンで冬営することができた。しかし、ロシアの勝利から数週間後、皇帝のエリザヴェータが死去、後継者のピョートル3世は講和してコルベルクをプロイセンに返還した[5]。