アイン・ランド
ウィキペディア フリーな encyclopedia
アイン・ランド(Ayn Rand、/ˈaɪn ˈrænd/;[1]、1905年2月2日 - 1982年3月6日)は、ロシア系アメリカ人の小説家、思想家[2]、劇作家、映画脚本家である。本名アリーサ・ジノヴィエヴナ・ローゼンバウム(露: Алиса Зиновьевна Розенбаум)。二冊のベストセラー小説『水源』、『肩をすくめるアトラス』で知られる。また自ら「客観主義」と名付けた思想体系の創出者としても知られる。
アイン・ランド Ayn Rand | |
---|---|
1943年 | |
ペンネーム | アイン・ランド |
誕生 |
アリーサ・ジノヴィエヴナ・ローゼンバウム Alisa Zinov'yevna Rosenbaum (1905-02-02) 1905年2月2日 ロシア帝国、ペテルブルク |
死没 |
(1982-03-06) 1982年3月6日(77歳没) アメリカ合衆国、ニューヨーク州ニューヨーク |
墓地 | アメリカ合衆国、ニューヨーク州ヴァルハラ、ケンシコ墓地 |
職業 | 作家、思想家 |
言語 | 英語 |
民族 | ロシア系ユダヤ人 |
市民権 |
ロシア帝国(1905年 - 1922年) ソビエト連邦 (1922年 - 1931年) アメリカ合衆国(1931年 - 1982年) |
最終学歴 | ペトログラード国立大学 |
活動期間 | 1934年 – 1982年 |
主題 | 哲学 |
代表作 |
「水源」 「肩をすくめるアトラス」 |
主な受賞歴 |
プロメテウス賞-殿堂入り 1983年 『肩をすくめるアトラス』 1987年 『アンセム』 |
配偶者 |
フランク・オコナー (1929年4月15日結婚 – 1979年11月7日死別) |
影響を受けたもの
| |
影響を与えたもの
| |
署名 | |
ウィキポータル 文学 | |
テンプレートを表示 |
ロシアで生まれ、同国で教育を受けた後、1926年にアメリカ合衆国に移住。ハリウッドで映画脚本家として働き、劇作品の一つは1935年から1936年までブロードウェイで上演された。初期の小説2作品は当初それほど評判にならなかったが、小説『水源』(1943年)で名声を得た。
1957年には代表作の小説『肩をすくめるアトラス』を出版。その後は自らの思想を伝播するノンフィクションに転向した。自ら雑誌を刊行し、いくつかのエッセー集を発表し、1982年に死去した。ランドは理性を知識を得る唯一の手段として擁護し、信仰や宗教を拒絶した。合理的かつ倫理的なエゴイズムを支持し、倫理的利他主義を拒絶した。政治においては「実力への着手」(Initiation of Force、自分の側からの強制力の行使)を非難し[3]、集産主義および国家主義に反対した。また、無政府主義にも反対した。最小国家主義および自由放任資本主義を、個人の権利を守る唯一の社会制度と信じ、支持した。芸術においてはロマン主義的写実主義を唱道した。一部のアリストテレス派哲学者や古典的自由主義を除き、殆ど全ての思想家及び思想的伝統を辛辣に批判した[4]。
文芸評論の世界では、ランドの虚構は殆ど認められていない[5]。アカデミズムの世界では、ランドの思想はほぼ無視または否認されている。客観主義運動は、ランドの思想を一般および学界に広めることを目指す運動である[6]。リバタリアンやアメリカの保守主義において、ランドは大きな影響力を保ち続けている[7]。